2005年 05月 21日 ( 4 )
シュニトケ室内楽集 ***
シュニトケが亡くなって今年の八月で七年になる。この不思議な作曲家はバロック風に書いたり、色んな作曲家の旋律を借用しては厳格なアカデミズムを皮肉っているのか、わからないようなところがある、それでいてとてつもなく魅力にあふれた作曲家であった。
1953年の作品であるヴァイオリン独奏のためのフーガは全くバロック風の曲。この時代にこんな音楽を書いていたなんて・・・。それも社会主義のソビエトで。スターリンが亡くなったのはこの年だったはずだ。まだ雪解けムードではなかったはずであるから、バロック風の作品は先鋭化する精神のその隠れ蓑だったのかもしれない。
ヴァイオリンは名手マルク・ルボツキー。彼はBISレーベルにエストニアの作曲家トゥビンのヴァイオリン協奏曲の録音をしていたが、あれは名演だった。このCDで彼の溌剌とした響きに再び出会うことができた。
続いて1988年の「チェロ独奏のための鳴り響く文字」は、(音の手紙と訳されていたのではなかったかなぁ・・・)は現代風の作品でアレクサンダー・イヴァシュキンが演奏している。もう少しのめり込んで演奏してほしいところもある。ちょっと冷静すぎるような・・・。表現の幅が狭く、あまり説得力がないのは残念。
1976年のピアノ五重奏曲ではイリーナ・シュニトケがピアノを弾き、ルボツキーをはじめ素晴らしい演奏が展開される。ショスタコーヴィチの追悼に書かれたというこの作品は全体に深い悲しみに満ちており、この奏者たちの自分のことののように自信に満ちあふれた演奏ではもう一言も出てこない。終楽章の訥々としたピアノの語りかけるようなメロディーに導かれて 弱音器つきのヴァイオリンがむせび泣くような響きが流れ始めるあたりは、この作曲家のイマジネーションの深さに完全に参ってしまった。歪なワルツのリズムとひきずるようなメロディーの対比。ああ凄い曲だ。そして凄い演奏だ!!
ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲である1979年作曲の「静寂の音楽」は同傾向の曲ながら、より響きとしては切りつめられた中から、深い祈りの歌を編み出しているのが凄い。
弦楽三重奏曲は2楽章からなる1985年の作品で、25分あまりかかる大作。ルボツキーをはじめとする面々は、情感豊かにこの作品を演奏している。調性は残っているので、現代音楽アレルギーの人にも薦められる。エネルギッシュな第1楽章に対して、悲しみと祈りに溢れた第2楽章。
交響曲や合唱作品といった大規模な音楽ばかりという印象のシュニトケだが、室内楽もまた良い作品があるものだ。ぜひ一聴をお薦めしたい。

NAXOS/8.554728
by Schweizer_Musik | 2005-05-21 13:03 | CD試聴記
カウフマン(vn)による「和声と創意への試み」Op.9 **
世界最初のヴィヴァルディの「四季」の録音がナクソスから復刻されていたので、前掲のショスタコーヴィチなどと一緒に購入して聞き終えたところ。
コンサート・ホール原盤で、「和声と創意への試み」Op.9が全曲録音され、更に珍しい2つのヴァイオリンのための協奏曲Rv.513が収められていて、「四季」の4曲がニューヨークで、他はスイスのチューリッヒで録音されている。
ヴァイオリンはルイス・カウフマン。1905年ポーランドに生まれ、アメリカに渡り1928年にニューヨークでデビューし、ロスアンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団のソリストとして長く活躍したヴァイオリニストで、映画のサウンドトラックのヴァイオリン・ソロをよくやっていたという。映画「風と共に去りぬ」のヴァイオリン・ソロも彼であった。コープランドなどともよく共演していたし、コープランドの「ホーダウン」をヴァイオリン用に作曲者が編曲したものを録音していたが、あれなどは大したものだった。ラーションやヴォーン=ウィリアムズのヴァイオリン協奏曲をいれたものが以前出ていたが、今はどうだろう?忘れられたヴァイオリニストの一人に数えられるだろう。「四季」はこのナクソス初めてその存在を知った次第だが、確かヴォックスに数多い録音があったと思う。
アメリカ録音の「四季」は通奏低音にオルガンを使っていて、聞き慣れた響きと随分違うので、ちょっと違和感を感じた。しかしテンポなどはよく知ったもので、イ・ムジチ合奏団のものなどとそう大きく違わないテンポ設定だ。アーヨのソロで録音したイ・ムジチの録音などに似たところもあるが、随所にポルタメントが多用され、少々時代を感じるところもある。
まだイ・ムジチの録音はなく、カール・ミュンヒンガーやレナート・ファザーノなどの指揮による録音もなく、バロックの音楽ではバッハ以外はわずかにヘンデルのいくつかが演奏されるだけという時代に行われたこの録音は、カウフマンによるパイオニア的な仕事であったことは間違いない。
アメリカ録音の「四季」は、その歴史的な意義を持っているとは言え、今となっては冴えない演奏であると言えよう。ヴァイオリンのカウフマンはなかなかの腕前であるとは言え、今日こんなにも多くの演奏を聞いてきた耳には魅力は薄い。カウフマンの抒情的なソロを支える通奏低音がオルガンであるのは面白くないこともないのだが、やはり重すぎる印象は否めない。スウォボダの指揮は丁寧ではあるが、オケが雑でバロック音楽黎明期の頃の録音だとつくづく思わせられる。
ところで、この話題の四季が終わって残りの8曲+1曲はスイスで録音されていてこちらはなかなかの出来である。ダヒンデン(ヴィンタートゥーア・コレギウム・ムジクムのヴァイオリン奏者)の指揮もスウォボダよりも数段上だと思う。丁寧な仕上がりは、この曲の魅力をよく伝えているが、何しろ控えめにオルガンでなくチェンバロで演奏されているのはありがたい。チェンバロが誰かは知らないが、この水準であれば録音のことを差し引いても十分今日でも価値があると思う。
第5番「海の嵐」からのチューリッヒ録音は、弦の王国であったヴィンタートゥーアの面目躍如たる演奏である。加えられたRv.513の2つのヴァイオリンのための協奏曲ではペーター・リバールが第2ヴァイオリンを担当しているが、この名ヴァイオリニストの素晴らしい記録の一つとなろう。
録音も1947年のアメリカでの録音はいささか聞きにくいところもあるが、1950年夏の録音であるチューリッヒでの録音は随分聞きやすくなっていて、この数年の録音技術の発達は大きかったことをうかがわせる。今となってはアーヨとイ・ムジチ合奏団の録音などが出ているので、今更これを推薦するのは無理があろう。**としたい。

NAXOS/8.110297〜98
by Schweizer_Musik | 2005-05-21 12:17 | CD試聴記
ショスタコーヴィチの映画音楽「ハムレット」***
ショスタコーヴィチの映画音楽「ハムレット」がナクソスから出ていたので買ってきた。1964年の曲だから交響曲第13番のあとの作品ということになる。映画のために多く曲を書いた作曲家としてはオネゲルや武満徹、黛敏郎があげられようが、ショスタコーヴィチも大量の映画音楽を残している。
実は私のショスタコーヴィチとの出会いは映画「リア王」の音楽であった。「リア王」は劇音楽としても作曲しており、この悲劇にショスタコーヴィチは二度音楽を書いていることとなる。
大変緊張感のある音楽で、ユニークな響き、そして私の知らなかったメロディーの書き方にビックリしたものだ。(当時私はピアノを習い始めたばかりの中学二年生だった)「革命」や「1912年」などの大作や歌劇をまだ知らなかった私は、ただショスタコーヴィチの音楽を聞きたいということだけでなけなしのお小遣いを投げ出して買った一枚のレコードであった。
そんなことはともかく、このCDでのドミトリー・ヤブロンスキー指揮ロシア・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は十分に楽しめる。オーケストラは洗練されているとは言い難いが、まず文句のないレベルのアンサンブルで聞かせる。ファンファーレなど金管の響きがもっと輝かしく練り上げられていたらと思わないでもないのだが、全体の中ではわずかな傷だ。
音楽は映画のために作られたため、やはり映像なしでは少々厳しいものも含まれている。
「ホレーショと亡霊の物語」あたりは確かにそうした雰囲気はあるものの、独立した音楽としては少々無理があるものの一つだ。「舞踏会」の音楽など、リア王の嵐の場面のようで、華やかな世界と違い孤独と闘いの音楽になっているのは面白い。
第7曲の「亡霊」の音楽は一転して独立した管弦楽作品としてでもいけるのではないだろうか。ただショスタコーヴィチの偉大な管弦楽作品と比べると、かなり大雑把な構成であり、内容的に薄い感じは否めない。
ハムレットの独白の場面、有名な「生きるべきか死ぬべきか」という場面もまた、ドラマが静的であるからか、音楽も大きな変化を持たず、少々退屈してしまう(後半のクラリネットのソロが出てくる辺りは美しいが・・・)。優雅な「庭園にて」はショスタコーヴィチらしくないと言えばそうなのだが、彼がいかに広いキャパシティを持っていたかを知ることができる。ブース・ファンファーレとそれに続く「毒殺」のシーンの音楽は、とても緊張感のあるもので、冒頭のティンパニーが奏でるメロディーが面白い。緊張感のある「間」や、拡大した調性感の中で、静かに潜行する悪意が音楽を異様な緊張感に包んでいて、聞き物。
次第に精神的に錯乱していくオフェーリアの姿が音楽で描かれていくところはなかなか面白い。保続音の上に弦がトレモロでパッセージを奏でるに過ぎないのだが、この後チェンバロが弦オケと対立するように掛け合いをして続き「オフェーリアの死」が描かれるのだ。そう込み入ったことをしているわけではないが、ショスタコーヴィチらしい切りつめたオーケストレーションが印象的である。
またハムレットの死の場面から葬儀のシーン、フィナーレの音楽などは特に緊張感のある音楽で、素晴らしい。
音楽だけで十分に雄弁であるものも含まれるとは言え、やはり映画のためのスコアをこうして聞くのは普通の管弦楽作品を聞くのとは大きく違う。映画で見た方がずっと感銘は深いだろう。ショスタコーヴィチの作品のカタログの穴を埋めるという点でも意義深い仕事ではあるが、網羅的にショスタコーヴィチの作品を集めているのでなければ、無理に買う必要はないかもしれない。
***がいいところだろう。

NAXOS/8.557446
by Schweizer_Musik | 2005-05-21 10:56 | CD試聴記
やっと・・・
授業がはじまって一ヶ月。五週分の授業が終わった。私の行っている学校はクォーター制をとっているので、もうすぐ試験であるが、最初の試験までもう一気に高めて行っていないといけないのが特徴で、この最初の一ヶ月が勝負のようなところがある。
そしてようやくその一ヶ月が終わり、試験に向けて仕上げをはじめたのだが、ここでやっと一息だ。
モーツァルト、ベートーヴェンなどとは随分長いこと疎遠になっていた気がする。現代音楽系の授業を2コマ持ったので、その準備にコンテンポラリー系の作品を聞いてばかりだったことも大きい。明けても暮れても十二音音楽という日もあり、たまになら良いのだが、毎日となると難行苦行になってしまう。
ただ聞くだけでは話にならないので、楽譜を調べるという作業を加え、それをどう書くのかというところまで説明できるように調べておかなくてはならないのだが、これが意外と面倒で、自分がわかれば良いだけなら、1時間ほどスコアを調べて音を聞いたら良いのだが、説明をどうしようかと思って調べると倍以上かかってしまう。結局授業の下調べがやたらとかかってしまうのだ。
譜例を作ったりという資料作りをしていると、もう学校からもらうギャラでは合わなくなってしまうが、それは受けたのだから今更文句を言う気は全くない。それどころか、授業を受け持つことで、昔の学生時代に戻ったような気になり、夢中に調べているようなところがあるので、むしろ感謝しているぐらいだ。
それにしても、最初無理にペンデレツキやミニマルをとりあげたのは失敗だった。アカデミーの学生たちはすでに一年以上そうした作品を勉強し、ドデカフォニーやメシアンなどの作曲法も学んだことになっているので、そこから始めようとしたのだが、肝心のウェーベルン以降のトータル・セリエルなどのブーレーズなどの音楽にもほとんど触れておらず、十二音も十分に分析して理解できている訳でなさそうだからだ。
音楽を聞いただけでは、十二音音楽は勉強にはならないのだが、まるで久石譲のアニメの音楽を聞くようにウェーベルンやベルクを聞いているのには参ってしまう。
というわけで、ウェーベルンのパッサカリアやバルトークの弦・チェレを持っていったのだが、これでも難しいことがわかる。どうも理詰めで音楽を書くというものに慣れていないのだ。ラヴェルやドビュッシーでも決して感覚だけで音楽を書いていたのではないのに、雰囲気だけをとらえているのだ。これでは理解したことにはならない。
という訳で、もっと易しいものにしなければということで、バルトークの「ハンガリー・スケッチ」を分析。もう現代音楽とは言えないかも知れないが、この民族主義的で平易に書かれた作品を細かく分析するところから始めることにした。
細かくスコアを読むということは一体どういうことなのかを、分析し、曲の構造や音の組織、モード、異なる調性を組み合わせての多調性という概念、オーケストレーションなどを少しでも理解したあたりで音楽を聞く。そうすると、音楽が立体的に聞こえてきて、今何が起こっているかを理解しながら聞くという体験をするのだ。
こうすると、ただ聞いて「きれいな曲」などとぼんやり感じていただけの一般音楽愛好家から、ちょっぴり専門家へと彼らが変身するという具合である。
やっとこの辺りがわかっていないということが見えてきて、ピントが合ってきた。他のクラスはもっと前から入り込んでいたのだが、アカデミーの学生達の授業だけどうもピントが合わず、毎回試行錯誤だったので・・・。
朝、早起きしてこんなことを書いているが、これができるようになったのも、やっとのことだ。すっかり世間の音楽界の様子が疎くなってしまっている。とは言え、それどころではない。原稿を書かなくては!!バーゼルについての二つの文章を絶対に今日書き上げよう。
by Schweizer_Musik | 2005-05-21 05:51 | 日々の出来事