2006年 08月 12日 ( 1 )
シュヴァルツコップに…
シュヴァルツコップが亡くなったということは、今日まで全く知らなかった。
現在のポーランドのブロシャ地方のヤロチンというところに生まれた。戦中にカール・ベームに認められてウィーン歌劇場でデビューを飾っているが、彼女の本格的な活動は戦後、大物プロデューサーのウォルター・レッグに見いだされ、その重要なパートナーとして数多くの録音に参加したことによる。そのレパートリーの多くはレッグが決定していたそうで、そのようなことを彼女自身が語ってもいる。シュヴァルツコップは大プロデューサーであったレッグの音楽的理想を体現した歌手の一人であったと思う。だから Her masters voice などと揶揄されたりもしたことがあるそうだ。(レッグはHis Master's voice = HMVのプロデューサーだったことに由来する)
そうした品のない非難は、無視して全く問題ないだろう。
彼女の歌唱の素晴らしさを今更私がここで述べ立てて何になろうか。そんなことは音楽ファンならば誰もが知っている。
引退は1976年だった。だからすでに人前で歌わなくなって30年になるのだが。今もってシュヴァルツコップの歌がかけがえのない唯一無二の名演・名唱となつている曲がいくつもあることもまた指摘しておかなくてはならないだろう。
歌劇場で育った歌手故に、歌劇の録音にいくつもの名演が残されているが、一度聞くと誰もが魅了されるものをあげるなら、まず1956年にカラヤンの指揮で録音したリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」をあげなくてはならない。あの元帥夫人の美しさ!映像でも親しんだ名曲で、昔は映画館でもやっていたそうだが、私はビデオで、そしてレーザー・ディスクで何度も繰り返してみた。
オクタビアンに思いを残しながら、若いゾフィーに恋人を譲り、退場する時の心の動きを、彼女ほど気品高く聞かせた人はいないと言ってもよいのではないだろうか?
もう一つ、彼女が歌った歌劇をあげるなら、私は一も二もなくモーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」をあげる。1962年に録音されたこのEMI盤は指揮のカール・ベームをはじめてとして全てにわたって完璧である。フィオルディリージを歌うシュヴァルツコップの美しさ!こんな女性にならせ、私は喜んで欺されてあげたくなる。ちなみに、オペラの録音というのは、完璧なものなんて滅多にないもので、どこかに穴があるものだが、このベーム指揮のEMI盤はそれがない希有なものである。
他にも一杯あるが、あげていたらきりがない。ただ、モーツァルトのアリア集で聞かせた見事な歌い分けは、彼女の幅広い対応力を見せつけるような凄いもので、これはあげておきたい。(EMI/TOCE-6742〜43)
「フィガロの結婚」のケルビーノのアリア「僕は自分で自分がわからない」から第4幕でスザンナが
「やっとその時がやって来たわ 」とレチタティーヴォで歌ったあと、「どうか遅れないでちょうだい」と歌うアリア、そして伯爵夫人が第2幕で歌うカヴァティーナ「愛のいくばくかの慰めを」と第3幕で歌う「楽しい思い出はどこに」という一人三役を歌い分けて聞かせるのだ。ジョン・プリッチャード指揮フィルハーモニア管弦楽団も素晴らしい。1952年というから、シュヴァルツコップを世間に知らしめようというプログラムの意図を感じるが、それに見事に応えたシュヴァルツコップの凄さ!これは大したものである。
1947年にカラヤンがウィーン・フィルを指揮して録音したベートーヴェンの第九でも彼女の名前があるが、やはりフルトヴェングラーのバイロイトでの第九で彼女がソリストをつとめたことでシュヴァルツコップは不滅となったことは間違いない。
しかし、私が彼女の演奏で特に魅力を感じるのはドイツ・リートのジャンルである。クレンペラーの指揮したマタイ受難曲やドイツ・レクイエム、ミサ・ソレムニス、あるいはジュリーニが指揮したヴェルディのレクイエムなどの宗教音楽もあげなくてはならないとは思うが、もうキリがないほど膨大であるので、私の好きなリートをあげたい。

まずは、ギーゼキングとのモーツァルト、エドヴィーン・フィッシャーとのシューベルトのリート集は文句なしに素晴らしいものである。
それにもかかわらず、私はヴォルフの歌曲でのシュヴァルツコップの名唱を第1にあげたい。フィッシャー=ディースカウと録音したスペイン歌曲集などの録音(Grammophon/POCG-9013〜21)はどれだけ聞いたか知れない。またフルトヴェングラーとの1953年のザルツブルク音楽祭でのヴォルフのリーダース・アーベントにおける絶妙な歌の数々。大変上手なフルトヴェングラーのピアノにも驚かされたが、それ以上に彼女の気品あふれる歌には全く参ってしまったものだ。ゲーテ歌曲集の「アナクレオンの墓」を聞き返しながら、この時にホールで実際にこの歌を聞けた人はどれだけ幸せだったことだろうと思ったものだ。
ドイツ・リートなら、シューマンの「女の愛と生涯」もあげなくてはならないだろうし、ブラームスやマーラー(あの「子供の魔法の笛」の名唱は決して忘れてはならない)もあける必要がある。
しかし、なんと言ってもセルの指揮で録音されたリヒャルト・シュトラウスの最後の4つの歌を彼女のドイツ・リートを代表する演奏としてあげたいと思う。
私のこの曲への思い入れはとても強く、書き始めたら止まらなくなりそうなので、今回はなるべく短くということを(こんなに長く書いておいて何を今更と言われそうだが)念頭において書こうと思う。
まず、リヒャルト・シュトラウスが亡くなる頃の状況について。
彼は戦前はともかくも戦後、シュトックハウゼンやブーレーズといった新しい潮流が主流となる時代において、明らかに時代遅れの作曲家となっていた。歌曲・歌劇などを中心に作曲したスイスの作曲家シェックなどもそうなのだが、戦後は彼らは敢えて作風をより古いロマン主義へと傾斜させていった。
リヒャルト・シュトラウスはあるインタビューでつぎのように語っている。「私はもう過去の作曲家であり、私が今まで長生きしていることは偶然に過ぎない」(Wikipedia参照)
これはある諦念と敢えて自らのたそがれの時を、若い日にどっぷり浸かっていたロマン派の音楽に戻ることで描いたとも考えられる。
彼もちょうど新ウィーン楽派の台頭と時期を同じくしていた頃、多調性や不協和音を大胆に取り入れた作品を数多く作曲していた。しかし、1910年の「ばらの騎士」で、彼はそうした前衛的な手法と決別し、ロマンチックな作風へと大きく舵を切った。これは彼に最大の成功をもたらしたのだが、結局この頃が彼の絶頂期であった。
この後、彼の作品は調性への傾斜を強め、古いバロック音楽にまでスタイルを戻していった。それはストラヴィンスキーなどの音楽とも多くの共通点をもっている。
ナチス・ドイツはそういう前衛と手を切ったリヒャルト・シュトラウスを第三帝国の帝国音楽院総裁に据えて、様々なプロパガンダに利用していった。
このあたりの事情について様々な意見がある。彼の息子の嫁がユダヤ人であったことも考慮する必要があるだろう。またドイツにとどまったことで、ナチスであると偏った見方をするのはあまりに早計であろう。フルトヴェングラーもリヒャルト・シュトラウスも非ナチ化裁判で無罪となっているのだ。この上断罪する必要があるだろうか?
ただ、ヘッセのように純粋に平和とナチに対する徹底した批判を戦争前から行っていた人たちにはどうも人気がなく、彼はリヒャルト・シュトラウスに対する嫌悪を何度となく表明している。彼はシュトラウスのこの最後の4つの歌で自分の詩を使うことについては認めているが(彼は自分の詩を歌曲の歌詞として利用するのに一度も拒否したことがない)
一曲だけアイヒェンドルフの詩を使用したのが、最後の「夕暮れ」であるが、これだけ響きがとても明るくなるので、最後に希望を託したかのように考えるロマンチックな解釈をされる方もいるが、実際にはこの曲が最初にスイスのレマン湖畔のモントルーのパレス・ホテルで作曲し、ついでオーケストレーションも完成している。
この作曲の途中で、ヘッセの詩を借り受けてはじめの3曲を作曲。同地で「春」を作曲し、東部の山岳リゾートのポントレジーナに移ってからオーケストレーションを完成し、「眠りにつく時」を作曲し、9月に氷河急行に乗って再びモントルーに戻り、「九月」を作曲したのだった。もう一曲書く予定であったが、それはかなわず、4曲のセットとなった。
こうしたいきさつから一曲目が少し響きが異なるのは、ヘッセの詩から受けたインスピレーションとその詩に反応した結果だったと考えた方が良い。
彼が描き出した古い後期ロマン派のスタイルによる歌曲は、1948年当時としては明らかに時代遅れだった。しかし、その音楽の真実性は単なる語法の古さなどといった表面的なものを超越していた。それは、戦後、数多くの素晴らしい歌手たちがこの作品をとりあげたことでもわかる。おそらくは、シュトラウスの失われ行く伝統への哀惜の念と、祖国の惨状に対する悲痛な悲しみがこれらの歌曲の根底にあったはずだ。
今もって、戦争などという愚かな行為を人間は止められずにいる。悲しいことだ。本当に悲しいことだ。人の憎しみには限りがない。それをこういう美しい音楽を聞いて忘れ去ろうではないか。そんな気持ちになる。
さて、この名曲をシュヴァルツコップは二度録音している。1952年にアッカーマン指揮フィルハーモニア管弦楽団と録音してから約13年。ジョージ・セル指揮ベルリン放送交響楽団(この組み合わせを私はこの演奏でしか知らない)と共演した一枚は、おそらく今後も規範となるべき一枚として永遠に残されるべき名演・名唱である。
シュトラウスの失われたドイツ文化への哀惜を込めた響きを、ポーランド出身のドイツ系の歌手であるシュヴァルツコップがこれ以上ないほどの美しさで歌い上げている。表情はどんな歌手よりも抑え気味で、祈りのような響きと表情がこの演奏から聞き取れる。例えばノーマン(クルト・マズアとの正規録音)などのように大きな表情をつけて歌い上げることも可能だろうが、この作品には相応しくないように思う。ルチア・ポップが亡くなる少し前に録音したマイケル・ティルソン・トーマスとの演奏が唯一比肩できる一枚であったが、あれは聞けなくなって久しい。
しかし、美しい音楽である。広島、長崎の原爆の日を過ぎて、まもなく終戦の日である。靖国神社への誰かの参拝が問題になったりするようだが、政治の話は私にはわからない。ただ、平和を祈るばかりであり、悲惨な戦争で命を落とした人々への哀悼の念を表明したいが、それに私は相応しい音楽であるように思う。そして、その最高の演奏を記録した歌手があの世へと旅立った。
素晴らしい演奏の数々を残してくれたことへの心からの感謝と哀悼の念を捧げたい。

エリザベート・シュワルツコップさん死去
シュワルツコップ追悼企画 R・シュトラウスの「四つの最後の歌」
by Schweizer_Musik | 2006-08-12 11:47 | 音楽時事