2008年 04月 06日 ( 3 )
春はあけぼの…音楽を聞こう -29. 別宮貞雄の交響曲第3番「春」
c0042908_2150146.jpg1984年に書かれた作品。ちょっとここまで古典的な様式でやるのかと驚かされるが、ちょっとした映画音楽風で、ほのぼのしていて、それがいかにも「春」らしい。
私の持っているディスクは若杉弘氏の指揮する東京都交響楽団による1993年の録音である。
各楽章にタイトルというか標題があり、極めて伝統的なロマン主義による標題交響曲である点が特徴だろう。
第1楽章は「春の訪れ」(あっという間に春はやってくる)というタイトルがつけられていて、ちょっとアルペン・ホルン風の出だしが、シュトラウスの楽曲を思い出させたりする。
第2楽章は「花咲き、蝶は舞い……」(そして鳥がさえずる。深い山の中の自然の美しさ)というタイトルが示すように、音楽は更にシュトラウスばりの描写性に傾くこととなる。そして、最後の第3楽章では「人は踊る」(人々は浮かれ出す)というタイトルが示すようにリズミックな楽章となる。
しかし、ここまで古典的な和声に固執したのはどうしてなのだろう?その数年前に書き上げた交響曲第2番ですら、もっと近代的なハーモニーをベースにしていたのに、せいぜいシューマン程度の和声に戻った別宮貞雄のこの作品に、実は戸惑っているというのが、私の正直な感想である。
この後に書かれた「1945年夏」をテーマにした作品ではもっと表現主義的なのに…(まぁそうならざるを得ないというのも事実ではあるが)。
しかし、近現代の「難解な音楽」という印象をこの作品から抱く人はいないだろう。
演奏は、若杉らしからぬピッチの乱れがあったりして、少々不満である。とは言え、我が国の作曲界の重鎮の作品である。心して聞こうではないか!
写真は今日の昼、久しぶりに家族みんなで近くのレストランで食事をした帰り、腹ごなしに一人で散歩していた時に見つけた若葉の写真である。
目に青葉…、あっそうだ、明日は鰹を食べよう!
by Schweizer_Musik | 2008-04-06 21:20 | 春はあけぼの…音楽を楽しもう
紀元二千六百年に演奏された作品・演奏 その2
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ローム ミュージック ファンデーション SPレコード復刻CD集のおかげで、紀元二千六百年での音楽の全貌をようやく聞くことができるようになったのは嬉しいばかりである。
ちなみに、こういうことを書くと「右翼」と誤解されるかもと、ある人に注意を受けた。私は政治的には中立というか、完璧に日和見主義で、ただ平和な社会で住みよい社会であってほしいというだけなのであって、右・左は意識にない。
まっ、断っておかないと困るほど暮らしにくい社会になったらしい…。

紀元二千六百年での音楽もこういう状況の下で死蔵されることになったのだろうか?私如きには政治の話は難し過ぎてわからない。
でも、イベールの祝典序曲はそれでも比較的よく演奏されている。シュトラウスの作品は、何年か前にアシュケナージがチェコ・フィルを指揮してCDを出したけれど、これがはじめてのステレオ録音ではなかったか?
日本での戦後の演奏はWikiの皇紀2600年奉祝曲によれば、五回のみだそうである。録音もなく、ルドルフ・ケンペの管弦楽曲全集にも収録されていない。
まぁ、あの全集は「全集」とされているけれど実際には洩れが多く、選集とすべきだろうが…。
さて、シュトラウスの作品をその弟子であったヘルムート・フェルマーが指揮するそれは、なかなかの聞き物で、ゴングをいくつか組み合わせたそれは独特の趣だと思った。
楽曲についてWikiの日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲に詳しく述べられているので、今更であるが、この作品がシュトラウス円熟期の交響作品としてもっと演奏されてもおかしくはないと思う。
ヘルムート・フェルマーの指揮するオケの状態も大変良い。ハープのアルペジオにゴングを組み合わせたサウンドは実演ならどう響くのだろうと、想像するだに面白そうだった。確かシュトラウス自身の録音もあったはずだが、私は聞いた記憶がない。アシュケナージの録音は未だ指揮者に対する躊躇のため買いそびれているが、この初演の時の録音を聞けば、持っておかないと…という気にもなる。なにしろナクソスにも存在しない音源なのだから…。
しかし、どうしてこんなに演奏されないのだろう。不思議なことだ…。

この考察、もう少し続ける予定。ピツェッティの作品などにも触れたいので…。
by Schweizer_Musik | 2008-04-06 10:52 | CD試聴記
紀元二千六百年に演奏された作品・演奏
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この前の夕陽の写真とほぼ同じ構図で今日の夕陽(らしきもの)を撮ってみた。高曇りというか、うっすらとした雲は日中には太陽の光が勝るものの、夕暮れとなるとどうしようもなく雲の壁にほとんどが遮られてしまう。
わずかに雲のすきまのようなところから夕焼けに染まる雲が覗いていた。けれど、雲はカーテンのようになっていては少々芸がない…。

一昨日は久しぶりの学校で、色んな意味で変化を体感した。そして私の春休みは、多くのサラリーマンの方々の顰蹙を買いつつあと一週間半続く。この間にオケものの作品を書いてみようと思っているが、授業の準備もそろそろやらなくてはならない。
場当たりでは授業にならない。意外と教えるというのは準備が大変なのだけれど、この辺が教えられる側には分からないらしい…。まっ仕方ないか。

学校に行ったついでに、ローム ミュージック ファンデーション SPレコード復刻CD集の第3集を借りてきて聞いている。
聞きたかったのはイベールの祝典序曲を山田耕筰が指揮したものと、シャーンドル・ヴェレシュの交響曲第1番を橋本国彦が指揮したものである。
両方ともステレオでの良い録音を私は持っているので、今更と言われるかもしれないが、これらは紀元二千六百年の委嘱作品で、1940年当時の日本のオケの最も上手い人たちが集まった紀元二千六百年奉祝交響楽団による演奏だという点で、とてつもなく貴重な作品であり、演奏なのだ。
とりわけこの2作品は日本人が指揮をしたという点で、いかなるレベルの演奏だったのかと大変興味が湧いてくる。
イベールはマルティノンの指揮によるものと聞きくらべをしてみた。フランス国立放送の第1オケは確かに上手いし、余裕たっぷりに演奏している。フガートでの主題の提示は山田耕筰の指揮は直裁で真っ直ぐに迫ってくるが、マルティノンはもっと陰影が深くつけられている。
しかし、初演としては山田耕筰の指揮する当時のオールスター・オーケストラは素晴らしい出来映えを示している。
オケも1940年当時、ここまでのことが出来ていたとは驚異的だ。ややピッチの甘いところがなきにしもあらずで、これは橋本國彦指揮のシャーンドル・ヴェレシュの作品で少しだけ気になるけれど、この作品が初演当時どんな音で響いたのかを知る上に大きな意義があったと思う。
敗戦後、我が国は軍国主義を生み出したという反省のもとに皇国史観を見直し、1940年にあった紀元二千六百年の出来事もなるべく触れないようにとのことで、こうした音楽を演奏することが、差し障りがあるとなったのか、日本のオケで演奏されなくなってしまった。演奏が難しすぎたわけではあるまいに…。
橋本國彦も公職追放となり、楽壇の中心から去り、日本は伊福部らの新しい楽派が台頭することとなるのだが、こうした中で紀元二千六百年の音楽は更に忘れられて行った。
シャーンドル・ヴェレシュを日本の当時の役所がシャーンドルを姓と思いこんでパンフレットを作ってしまったから、シャーンドル・ヴェレシュの名前は憶えられることなく、そのヴェレシュもハンガリーの共産主義政権を嫌い(ナチスは我慢が出来たのに、共産主義の人権抑圧は彼をギリギリまで追い込んだのだった…)イタリアに亡命してしまった。スイスはイタリアで孤独に仕事を求めていた彼にベルンの音楽院の職を提供したので、ついスイスに亡命とよく書かれるのだが、事実は少々入り組んでいる。
ともかく、バルトークのおそらくは唯一の高弟であったヴェレシュはとてつもなく偉大な作曲家であり、音楽家だった。その若き日の傑作の誕生に我が国が関わったことを忘れてはならない。
ありがたいことに、ナクソスにこの交響曲の録音がある!!数年前に出た時にあわてて秋葉原の石○電気で買ったものだが、今ではナクソス・ミュージック・ライブラリーに入っていればいつでも聞ける。購入は今でも可能なのだろうか?フンガロトンのカタログにはまだ載っているようだけれど。
ナクソスで聞くには検索のページで作曲家のところにVeress, Sandorと入れて検索をすると出て来る。
彼の作風の変遷についても今後どこかで触れていかねばならないと思っているところである。

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この写真は今朝の我が家からの写真である。朝、起きてゴソゴソしてから新聞を取りに出るついでに写真を撮るのが日課となりつつある。
by Schweizer_Musik | 2008-04-06 08:00 | CD試聴記