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津田理子とピアノ音楽の集い2010 プログラム・ノート (1)
5月23日(日)の津田理子さんのコンサートのプログラム・ノート、その1です。

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楽曲解説  徳備康純

第1部

ベートーヴェン作曲 ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 Op.14-2

 1798年から1799年に書かれた作品で、全部で3つの楽章から出来ています。
 第1楽章はソナタ形式です。冒頭の右手と左手が対話するような主題が「夫婦の対話」と呼ばれることがありますが、同じ音型を右手と左手で会話するようなテーマが「夫唱婦随」という言葉がピッタリのように思えたからでしょうか?
 第2楽章はちょっと行進曲風のテーマとそれに基づく3つの変奏から出来ています。変奏曲の大家だったベートーヴェンらしい技巧的な変奏を楽しんで下さい。
 第3楽章は活発な主題の楽章で、楽譜にはスケルツォと書かれていますが、実際にはロンド形式で出来ており、スケルツォ風の楽章と呼ぶべきで、ちょっとややこしいですね。スケルツォとはイタリア語で「冗談」という意味です。古典派の時代にメヌエットに代わって書かれるようになりました。多くは急速なテンポの三拍子で書かれます。
 この楽章も三拍子で書かれていますが、なんだかはじまりが二拍子のようで(ヘミオラと言います)、おもしろい技巧が使われていて、いかにもベートーヴェンらしい機知に富んだ音楽です。

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コンサートはこのベートーヴェン初期の作品で始まります。普段はジャン=ベルナール・ポミエの演奏やヴィルヘルム・ケンプの演奏で楽しむことが多いのですが、津田さんの美しいタッチでの演奏に期待しましょう。

写真はフランス語圏のヌーシャテルの街角の風景。こんなカフェで作曲していたら、洒脱な曲が書けそうな気になってくる…。
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by Schweizer_Musik | 2010-03-25 11:09 | 原稿書きの合間に
リストのピアノ協奏曲とアルプスの思い出
ブレンデルとギーレンが共演したリストのピアノ協奏曲は、中学の頃、コロンビア・ダイアモンド・シリーズという廉価盤のシリーズで出ていて、これを毎日毎日、飽きることなく聞き続けた思い出に浸っていた。
リストの2曲のピアノ協奏曲は私にとっては特別の思い入れのある曲であり、この演奏は特別のものとなっていた。ジャケットはフランス・アルプス、シャモニーにも近いラック・ブランの夕景の写真で、こんな美しい世界が世の中にあるのだろうかと思っていた。
この頃から、ヨーロッパ・アルプスに対する憧れが私の中で沸々と熟成し始めたと言える。
この少し前、私が小学五年生の頃のことだったろうか、日本人によるアイガー北壁の直登ルートの登攀成功のニュースもあり、山育ちの私にとってアルプスの白銀の山はいつしかあこがれとなっていた。
ラックブランは未だに行く機会を得ず(近くまでは行ったのだけれど…)その写真は持っていないので、グリンデルワルドからファウルホルンに登った時に写した一枚を載せておこうと思う。
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湖の向こうにある山並の右、写っていないけれどアイガーの東山稜が続く。日本の槇有恒が縦走に成功した山である。ちなみにアイガー北壁はこれに続くほぼ垂直の壁で、北に向いていることもあり日があまり射さない厳しい山稜である。
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ついでなので、この写真もあげておこう。グロスシャイデックという峠からフィルストという山に向かうハイキング・コースの途中から見たアイガー東山稜とアイガー北壁の姿である。
ともかく、こうした山の風景とともにリストのピアノ協奏曲が私の頭にすり込まれてしまったのだ。

リストのピアノ協奏曲は不思議な曲で、2曲とも主調が長調なのに、全く長調らしくないのも、中学生の私には強い印象を与えた。
第1番の冒頭はユニゾンで半音階で下っていくテーマは長調の特徴よりもより短調の特徴を印象づけているし、第2番はイ長調の主和音で始まりながら続く和音は遠隔調の和音を続け、結局平行調のフリギア終止をもってフレーズがまとめられるのだから、リストは最初から調性を確保しようなどとは考えていないのだ。
その点でこれらのリストの作品は、ワーグナーのトリスタン和音を先取りするものとして注目に値するものなのだけれど、それが描き出すむせかえるようなロマンの香りは、一度はまってしまうと抜け出ることの出来ないものを持っている。
ラックブランの夕景の写真はブレンデルとギーレン指揮ウィーン・プロムジカ管弦楽団のこの演奏にピッタリだった。湖の向こうの山小屋が黒くシルエットとなり、遙かな名峰ドリュからつづく赤い針峰群からグランドジョラス北壁へと続く山群の風景は、夕焼け(ドイツ流にアーベントロートと言いたいところ…あっフランスだった)は、あまりに幻想的で、この世ならざる美しさを感じさせたものである。

そうした風景はスイスでたくさん出会うことが出来た。シルヴァブラナの古城とシルヴァプラナ湖の風景もそうしたものの一つだ。
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美しい風景だと思う。1939年だったか、亡命前、まだ戦争がはじまる前の7月に、バルトークはここを夫妻で訪れていて、その写真を見たことがあるが、この古城がそれにはっきりと写っていて、この景色を見たときにそれを思い出したものだ。

ここからも近いシルス・マリアの村はクララ・ハスキルやグリュミオー、バックハウスやワルター、メンゲルベルクなどがよく訪れたところで、あのニーチェが「ツァラトゥストラはかく語りき」を執筆したところとしても名高い。(その家は今では記念館となっている)
その先の峠を下って行った先のソーリオは、ぜひ死ぬまでにもう一度行きたい村。どこか故郷の村に通じるただの山村なのだが、新田次郎の本の中で大変感動的に描かれていることでも知られる。

こんなことを思い出しながら、リストの協奏曲を聞いていて、この曲をミューレンのホテル・ベルビューで一人泊まっていた時、つけていたラジオから急に流れ出した時のことを思い出した。演奏はブレンデルとギーレンでは無かったけれど、夕景のミューレンは人通りもなく、とんでもない静けさに包まれていて、とても小さな音量でこの曲を暮れなずむアルプスの山々のアーベントロート(夕焼け)とともに聞いていたのである。第2楽章を聞きながら、私はつい涙を流してしまった。もう十五年ほど前の話である。
リストの協奏曲は第1番も第2番も私の名かでは、こうしてアルプスと結びつけられているけれど、リスト自身はそんなことは思いもよらなかったことだろう。ただ、何度目かのオーケストレーションを担当したのは、スイス出身の作曲家ヨアヒム・ラフであった。
リストは自身でもオーケストレーションをしているけれど、多くの作品で弟子たちにやらせている。その一つがこの協奏曲であったのだ…。
こうしてスイスと音楽の話が続いていくのだけれど、そろそろお後がよろしいようで。
by Schweizer_Musik | 2007-07-21 23:58 | 原稿書きの合間に
ミューレンをテーマにした音楽
スイスの想い出を一つ。
私がスイスで一番好きな村はミューレンである。次に好きなのはシルス・マリア、そしてソーリオ。この名前を出すだけで心が懐かしさと憧れが入り交じった悲しいような嬉しいような…、自然と涙が出てきてしまう。
そのミューレンを唯一音楽のテーマとしてとりあげた曲がある。昨日から今朝にかけて改訂したもので、サックス四重奏のための作品の一部である。
今回は音は弦楽四重奏で録音してあるが、本来はサックス四重奏の予定で、そのうちまた録音して公開しようと思うが、とりあえず弦で公開しよう。教材として作ったものであるが、思い入れがあるのでもの凄く一生懸命作った曲である。(作曲は昨年の春…)
c0042908_23191178.jpgミューレンでの私の定宿だったホテル・クリスタル・ベルビューの部屋のベランダからの風景の写真をつけておこう。1995年に撮ったもので、MAMIYA7の中判のフィルムをつかって撮影した。
我が家に全紙に引き伸ばしたものが飾ってあるが、私のお気に入りの一枚である。ホテル・クリスタル・ベルビューのマダムは元気なのだろうか。確かご主人はオリンピックのスキー選手だったと聞いたけれど。


音はこちら
c0042908_23195946.jpg右の写真は、ミューレンに行く高原列車を撮ったもので、1993年に女房と二人で行った時のものである。この列車に乗れば車窓にはこのような風景がずっと広がっている。また歩けば、ずっとこの風景を見ながら愉しいハイキングができる。途中には一つだけ駅があり、たった一軒だけれどレストランもある。
このミューレンを愛した作曲家がいる。それはブラームスで、なんどもここにやって来ている。実はU字谷の肩に乗っかっているような村で、行くには大変な坂道を行かなくてはならず、そういうこともあり、ここは自動車は乗り入れることはできない村なのだ。ブラームスの時代には列車も開通しておらず、ここに歩いてやってきたのである。
それを思うと、ブラームスの健脚ぶりがうかがえる。私には絶対無理だ…。
by Schweizer_Musik | 2007-06-28 23:23 | 原稿書きの合間に
ルツェルン音楽祭
ちょっと調べごとをしていて、ルツェルン音楽祭についてWikiの記載があまりに酷かったので、ちょいと書き直しておいた。
ルツェルン音楽祭
前史や途中での色々なことについては、現在出版を計画している本に載せる予定なので、かなり割り引いた内容でちょっと申し訳ないようなものであるが、こうした情報が意外となく、スイスと言えば、ハイジとアルプス、ハイキングしかなく、文化面でのスイスの業績について、全く無視されているように思う。
金曜日の学校の帰りに、ヴェンゲローフのソロと指揮によるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第2番と第4番、協奏交響曲のCDを購入し、聞いていたのだが、なかなか見事な演奏で心奪われた。
そのオーケストラはUBS(スイス銀行)の名前を冠するヴェルビエ音楽祭管弦楽団である。スイスのガイドブックでもほとんど無視されている町で、実は1970年代になって作られた観光村なのだが、大変風光明媚な村で、ちょっと歩いて行くとハイキング・コースや大きな氷河を持つ山などがある。
下の写真はヴェルビエからロープウェイで行ったモン・フォーという山の中腹にあるスイス山岳会の山小屋である。今から15年ほど前、私がスイスに行った時に撮った時の写真である。
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by Schweizer_Musik | 2007-06-24 11:39 | 原稿書きの合間に
スペインの作曲家バラダの作品をいくつか聞いた〜その印象より
昨日はフランクという、こってりしたロマン派で過ごしたので、今日はスペインの作曲家バラダを聞きながら、ちょっとした原稿に手を入れる作業をしている。
バラダは1970年代にはある程度前衛的な技法を取り入れたスタイルで作品を書いていた。それは1976年作の4本のギターと管弦楽のための協奏曲でも明らかである。
しかし、前衛に対する大きな揺り戻しがあった1980年代を境に、バラダは作風をぐっとわかりやすいものへと舵を切ったようだ。
もちろん、1992年の「管弦楽のためのセレブラシオ」ではクラスター的な部分も聞かれるが、ジャズや平易な民族音楽の要素なども聞こえてきて、わかりやすく、すっきりしたオーケストレーションが特徴であるように思われる。
2001年に書かれたチェロ協奏曲第2番を聞いていると、こちらが気恥ずかしくなるような初期ニューオリンズ・ジャズの要素が鳴り響いたりする。
あの同時多発テロに対する交響曲第5番「アメリカン」という作品もあるし、「ゲルニカ」という作品などちょっと政治的な作品もあるようだ。ああいった時事的なテーマについて作曲するというのは、私は好まないので、今ひとつ印象も弱い。こうした戦争や大きな悲劇を主題とした作品で私が唯一深い感銘をうけたものは、原爆小景という合唱作品だけだ。あの阿鼻叫喚の描写はあまりに深く心に突き刺さってしまい、聞いた日は眠れなくなってしまったことを憶えている。
あの強烈な印象に比べると、この曲の描写性は浅く、つまらない。だから終楽章の明るさが偽物に聞こえてしまう。私にはああいった題材で音楽を書くなんてことは出来そうもない。
by Schweizer_Musik | 2007-06-17 10:28 | 原稿書きの合間に
良い朝…
今日も良いお天気で、気分の良い朝である。梅雨入りをしているのにこのお天気はどうだろう。今年は空梅雨なのだろうか?
ミュージカル「オクラホマ」の「美しい朝」という歌のメロディーが浮かんでくる。
しかし、昨日は暑かったけれど湿度の低い、カラッとした気持ちの良い日であった。なんだか日本でないみたいで、不思議な感じである。皮張りのティンパニーを使っている打楽器奏者たちは、手入れが大変だろう…。
一日、そのままとなっている原稿を書くことにする。
by Schweizer_Musik | 2007-06-17 07:07 | 原稿書きの合間に
なんだ!これはエルガーじゃないか!
行進曲の一部をオーケストレーションした。実は先日学校へ行く途中の電車の中でやってあったのだが、聞いてびっくり、エルガーの「威風堂々」にそっくり…。で書くのをやめることにしようと思ったのだが、意外なほど魅力的なので(というか愛着が出来てしまっていたので)書き続けることにした。ちょっとお遊び程度になりそうだが、出来上がったらまた公開します。暇な時にちょっとずつ書くつもりなので、いつになることやら…。

ところで、エルガーの「威風堂々」第1番は良い作品だと思う。作曲者は二十年、あのメロディーをあたためていたそうだが、なるほどと思う。
あの曲はご存知の方も多いと思うが、下降スケールで出来ている。2つのテーマは明らかに性格的に対照しているのだが、背景はがっちり統一されている。おかげで性格の対比がより鮮明になるというわけである。
意表をつく前奏(とても面白い入りである!)のあと出てくる第1テーマは次のようなものである。
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このテーマ、ニ長調の音階で始まることはおわかりいただけるだろうか?そしてトリオのテーマは次のとてもとても幽冥なものである。
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このテーマはト長調のスケールだということに気が付けばこの音楽の成立している基礎が見えてくる(聞こえてくる)。
これをこんなに自然に美しく始められることが素晴らしいと思う。シンプルでありながら、性格の対比、音楽的素材の対比は際だっていて、それにテンポの変化をつけながら自然な歩みを作り出すのは、実は結構難しいものなのだ。
by Schweizer_Musik | 2007-01-14 08:45 | 原稿書きの合間に
プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の終楽章について
プロコフィエフの第3番のピアノ協奏曲について、yurikamomeさんが書かれておられ、それについての意見をとご指名頂いたので、少しだけ書かせて頂く。

プロコフィエフが最初の成熟した作品として自ら語っている作品は師のニコライ・ニコラエヴィチ・チェレプニンに捧げられたピアノ協奏曲第1番である。ペテルブルク音楽院在学中の1911年から翌12年にかけて書かれ、冬に完成した。1912年に初演されたこの作品は賛否両論にさらされるが、1914年に音楽院の卒業試験でこの曲を演奏したプロコフィエフに対して、当時の音楽院院長のグラズノフら教授陣はプロコフィエフに対してルービンシュタイン賞を与え、この作品がプロコフィエフの傑作の一つと評価したのは忘れてはならない。とは言え「モチーフを寄せ集めてならべただけの散文的な作品」とか「ただのアクロバットだ(アクロバットをやっている人に対して失礼だ!)」などという否定的な評価と、友人のミャスコフスキーなどの「オリジナルな傑作である」という評価の2つに分かれた。これは第2番の協奏曲でも繰り返される。
1917年にはヴァイオリン協奏曲第1番が完成し、古典交響曲が発表される。

1918年5月のはじめにロシア革命に揺れるモスクワからアメリカ亡命を決意し、シベリア鉄道に乗ったプロコフィエフは5月31日に敦賀港に上陸した。翌6月1日には東京に到着し、そのままアメリカ行きの船便を探すが折悪しくアメリカ行きはなく、そのまま約二ヶ月にわたり日本に滞在することとなった。
ちなみに、世界的作曲家が日本に滞在したのはこれがはじめてであった。とは言え、まだ27才の青年作曲家にそれほど日本中が沸き立ったとは言い切れないものがある。日本中にインパクトがあったのは後のフェリックス・ワインガルトナーの来日の方が大きかったのではないか。確かに当時の新進気鋭の音楽評論家大田黒元雄氏などとも交流している記録が残っているそうで、それなりに日本の楽壇に対して影響を与えたと考えられるが、果たして実際の影響はどの程度だったかは不明だ。
二ヶ月の滞在期間中にプロコフィエフは大阪、京都をはじめ箱根などあちらこちらを見て歩いており、7月のはじめに東京と横浜でコンサートをしている。
この間に長唄「越後獅子」を聞いたと言われ、それがピアノ協奏曲第3番の終楽章に使われているというのが音楽之友社の「名曲解説全集」などで語られているし、いくつかのライナー・ノートでも語られている。
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確かに日本の俗謡の音階に近いものがある。
面白いのは、二拍子を感じさせるモチーフを無理矢理三拍子で書いている点で、何も知らないで聞いているとここは二拍子に聞こえる点で、その辺りの曖昧さが二拍子系の日本の古謡に似ているということにもなるのかも知れない。
越後獅子のメロディーは、九世杵屋六左衛門の作とされているが、寛政の頃に大阪の峰崎勾当が、当時流行していた越後の角兵衛獅子を歌った地唄を九世杵屋六左衛門が焼き直したものだそうである。
今日のように盗作だとか難しいことを言わなかった時代の作品で、九世杵屋六左衛門はサッサとかなりテキトーに(手抜きで)作ったようである。それが長い間歌い継がれる名曲になったのだから、皮肉なものだ。
そのメロディーの楽譜を次にあげておこう。音程は多少上下しているのを無理矢理五線に入れたのでちょっとおかしいとは思うが…。
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ちなみに美空ひばりが歌った西條八十作詞、万城目正作曲の「越後獅子の唄」「角兵衛獅子の唄」という曲とは全く関係はない(当たり前だ!)。
プロコフィエフの冒頭の部分と7小節目のA-F-Eの音の繋がりが似ていると言えば似ている。しかしこれが引用というほどのものとは言えそうもない。そういえば、この越後獅子はプッチーニが「蝶々夫人」の中でそっくりそのまま引用しているが、日本情緒、江戸情緒を出すのに、江戸時代に大ヒットしたこのメロディーを使ったのはプッチーニのアイデアであるが、プロコフィエフにはそんな気は全くなかったに違いない。それはすぐにピアノが変ロ音を主音とするミクソリディアに移調して異なるフレーズが力強く歌い上げられ、さらに転調をあっという間に繰り返し、次のようにハ調のメロディーに変形して確保されることでもわかる。
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ドクター円海山さんが白鍵でテーマを書いていたに過ぎないという意見にこの点で私も賛同したい。作っていたメロディーが偶然越後獅子に似ていたのか、越後獅子のメロディーを聞いて、それとよく似たメロディーが紛れ込んだのかは不明だが、プロコフィエフの第3楽章のテーマがプッチーニのように「越後獅子」であるというのは無理がありすぎると私は思う。
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yurikamomeさん、こんなところです。

もととなったyurikamomeさんの音楽的なエントリーへのリンクです。
プロコフィエフ作曲、ピアノ協奏曲第3番
by Schweizer_Musik | 2006-12-09 10:20 | 原稿書きの合間に
コンピューターの音と人間の声
昔、レコード芸術誌で読んだ記事だったと思うが、あるピアニストを迎えて、ヴェルテ・ミニヨンの自動ピアノの試聴を行ったところ、そのピアニストが「これはパハマンのタッチではない」と言って怒り出したという話があった。いや、パハマンだったか、ローゼンタールだったかもう定かではないが、微妙なタッチの変化が全くない自動ピアノの音を非音楽的と断じたそのピアニストの耳は、実に鋭いものだと思った。
果たして、私はコンピューターを使うし、その同じようなニュアンスで延々と繰り返す音に違和感を感じなくなっていることに、最近とても恐怖を感じている。言葉の揺らぎ、ニュアンスの微妙な変化を私たちの耳は長い長い間、聞き分けてきたのだ。それが、退化しているのではないかと危機感を感じている。
オーケストラの音をコンピューターで出すことができる。かなりリアルになってきたとは言え、本物には全くかなわないことは事実だ。だからシンセサイザー風の音にアレンジし、同じニュアンスのパターンを延々と繰り返して「トランス・ミュージック」などと言い訳して人に聞かせるのが、流行ったりもする。
「トランス・ミュージック」は、音楽の能力がない者でも、なんとなくセンスだけでくっつけたりはがしたりしてでっち上げられるので、作曲初心者に大人気だったこともある。しかし、パーカッションのフレーズが明らかにコピー&ペーストで出来ていて、立派な出で立ちのわりには(そういう連中ほど、パッケージに凝る傾向がある)中身がお粗末で、聞いてものの15秒もしないうちに、私はその音楽に対して興味を失ってしまう。
しかし、そうした音の単調さ、不自然さを耳がとらえていないことに私は危険を感じている。
生の楽器が、精魂込めて歌い上げるフレーズと、ただコンピューターに打ち込んだ音(かなり良いものになっていることは間違いないし、下手くそな演奏なら、ちゃんと打ち込んだ音の方がずっと良かったりもする)が並列において聞かされて、その不自然さを耳が感じ取れなくなってきているのではないかという恐怖感である。
こんなことを書いているが、コンピューターで絶対できないのは、人が歌うように言葉を使って歌うことだ。人の声はあらゆる楽器の中で、隔絶した地位を占めている。楽器の音はバランスや音域、配置を工夫してやらないと、うまくバランスがとれないことがある。メロディーを楽器で演奏する場合、伴奏にまわる声部の配置は細心の注意をもって書かねば、きれいな伴奏でもメロディーは全く聞こえないなんてことが起こりうるのだ。
逆に、人の声はそんな配慮は無用だ。ヘルデン・テノールの前では大オーケストラであっても音は聞こえてくるだろう。もちろん、無理をさせないためにも、ある程度の配慮は必要であるが…。
ポピュラーのコーラスではメロディーの上にハモリの声部をもってくることがよくある。クラシックの音楽ではめったにやらないが、こうしたアレンジでもメロディーの声部は聞こえてくる。人の声の特徴、個性を私たちの耳は聞き分けているのだ。

昔、ヤマハのジュニア・オリジナル・コンサートであるよくできる生徒に歌曲を作らせたことがあった。ヤマハでは「なかよしソング」などといって、童謡と歌謡曲の会いの子のような中途半端な歌を作らせていたが、本格的な歌曲は、ほとんどやっていなかった。
歌曲を、当時のスタッフは誰もまじめに考えていなかったのだ。確かに文学的な素養も必要だし、声楽についての基礎的な知識も必要だ。誰に、どういう声域と声質を持つ人に歌ってもらうのかなどという基本的なことも教えなくてはならないし、詩を選ぶのも大変だった。
それをコンサートの候補曲として出した時、本部のスタッフからかなりの反発を受けた。しかし私はロストロポーヴィッチの講評で、歌曲がないことなどを指摘されていたことがあってこれをやることに確信を持っていた。
作曲の学生はどうも歌曲については不熱心で、反応が今ひとつなのは残念だ。そのうち、そういう音楽も書かせたいと思う。弦楽四重奏でフーガについて簡単に教えたら、一週間で書いてきた優秀な弟子がいるので、彼女に少したきつけてみようか、などと勝手なことを思ってみたりしている。
by Schweizer_Musik | 2006-09-06 04:08 | 原稿書きの合間に
ミラノの思い出
イタリアのドゥーモの映像がテレビで流れていた。ミラノというとドゥーモであり、ガレッリア、スカラ座などが思い浮かぶのだろうが、私はダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」が印象に残っている。
あの壁絵に会いに行くため、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院を探して暑いミラノの町を(八月だった!)一生懸命歩いた記憶が蘇ってきた。
ようやく見つけたサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の入り口で、お金を払い荷物を預けて、まだ修復中の元修道院の食堂に入ると、420 x 910cmの大きな壁絵が目の前にあった。
ダ・ヴィンチ・コードがヒットしているからという訳ではないが、不思議なメッセージを感じる絵で、私は強烈な印象を受けた。
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キリストを中心にそれぞれが勝手なことをしているようで、強烈なキリストの引力を感じた。一点透視図法というのだそうだ。この辺りのことについてはWikipediaに詳しい。
この絵の主題である最後の晩餐の席についている時、まだキリストの使徒たちは本当の彼の使徒ではなかったのではないか。キリストの思想、そしてその思想を広げていったのはこの使徒たちであるのだが、彼らが本当のキリストの使徒となるのは、キリストの死を契機としているのだと思う。
この絵は、その大きな契機となるキリストの死を前にした、面々の姿を切り取ったものだ。「裏切り者」のユダも描かれているが、最近、ながらく異端とされてきたユダが本当は裏切り者ではなかったという話も出てきている。果たして…。
一昨日のオペラ鑑賞から、どうもイタリアづいているようだ。
by Schweizer_Musik | 2006-06-26 04:45 | 原稿書きの合間に