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バッハのカンタータを聞きながら
バッハのカンタータについてyurikamomeさんが書かれてあったので、ふと思いついたことを書くことにした。
カンタータはバッハの宗教音楽の教科書みたいなところがあって、バッハについて関心があるなら避けては通れないところだと思う。例えば二声のためのインヴェンションを習う程度でも、底知れないバッハの奥深さがその向こうに見え隠れしていることを、このカンタータから学ぶことができる。
バッハの場合に限らず、バロック以前の音楽の多くが、様々なフレーズに聖書の場面を象徴的に描いていて、宗教と音楽が密接に結びついていたことがわかる。私は今、150番「主よ,われ汝をあおぎ望む」を聞きながらこれを書いているのだが、音程の大きく開いたところで、キリストの死の場面を、あるいは半音階でフレーズが下がっていく場面で、ゴルゴタの丘に登るイエスが浮かんでくる。
完全に私もわかっているわけではないが、「あれっ」と思って歌詞カードを確認すると、そうした言葉がそこにあるのに驚かされることもしばしばある。
私など、まだまだバッハがわかったなどと言えたものではないが、少しずつわかるように努力していきたいものだと思っている。

しかし、この鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏の素晴らしいこと!!カンタータはこれで決まりか?リヒターは全集ではないし、曲によっては少し重く感じることも多いので、最近は鈴木雅明のBIS盤をとりだすことが多い。

J.S.バッハ作曲、カンタータ第78番「イエスよ、汝わが魂を」
by Schweizer_Musik | 2005-12-19 09:36 | 原稿書きの合間に
覚え書き 3
スイス、中央部にザンクト・ゴットハルトという名の峠がある。峠はルツェルンからラインへと流れるロイス川の源流域であり、現在のアンデルマットの町からシェレーネン渓谷をロイス川は流れ下り、四森林州湖へと注ぐ。
シェレーネン渓谷がこの峠の最大の難所でもあった。険しい崖が聳え、急な傾斜を流れ下る流れる渓谷の底は狭く、人が行き交うのは無理なことだった。このため、サン・ベルナルディーノ峠やシンプロン峠など、スイスの多くの峠がローマ時代に開削されたのに対して、このザンクト・ゴットハルト峠が開削されたのは十三世紀になってからのことである。
峠には伝説が残っている。どうしても越えられないところがシェレーネン渓谷であった。ここに橋を架けることは出来ないと信じられていた。その橋を悪魔が架けたというのだ。その代金として悪魔は最初にその橋を渡った者を差し出せということで、橋が出来てから峠の民は最初に羊を渡らせたそうだ。悪魔は怒ったもののどうにもならない。こうして、身の毛もよだつ急峻な渓谷に橋が架かり、ゴットハルト峠に人が通れるようになったというのだ。橋はこの伝説によっていつしか悪魔の橋と呼ばれるようになった。
ルツェルン湖畔から登り、ゲッシェネンからの厳しい渓谷を遡り、悪魔の橋を渡り、アンデルマットから雪を頂くゴットハルト峠を越えるルートは、それでも簡単な話ではない。今日でも冬季にここを越えることは無理だ。一年の半分近くが雪のために不通となる峠。しかし、この峠はこの後ロンバルディアの野に向かってひたすら下っていくだけなのだ。
ただ一度だけ登り、下るだけの峠は、アルプスの他の多くの峠道と異なり、大きな軍事的、政治的意味を持つ。
これが、ハプスブルクがこの峠に注目し、峠の麓を何としてでも支配したいと考えた理由である。そして峠の民はその前に帝国から領主による支配から独立し、自由と自治を得ていた。そしてこの自由と自治を守るためにスイスの峠の民は、ハプスブルクと戦ったのであった。
スイスは、犬養道子氏がその著書が語っているように、峠の颪の正統な息子であったのだ。
by Schweizer_Musik | 2005-12-15 13:27 | 原稿書きの合間に
覚え書き 2
ルードルフは(皇帝となってからは一世、ややこしい!何とかならんのか!)、対立候補であったボヘミアの王オットカールとの戦いを開始する。オットカールは皇帝選挙で「あの田舎貴族のハプスブルクに破れたこと」を認めず、アーヘンでの戴冠式にも顔を出さず、これが口実となってルードルフはオットカールを帝国追放として、戦いを挑む。
1276年夏、ドナウ川の支流のマルヒ河岸で行われた戦いで、オットカールは戦死。ボヘミアの軍は敗走し、ルードルフのハプスブルクの帝国軍は勝利する。
これにより、ハプスブルクはウィーン、リンツ、グラーツ、ケルンテンといったオーストリアのボヘミア王の持っていた所領を自らのものとし、これより、ハプスブルクはオーストリアでの足がかりを得たのだった。
by Schweizer_Musik | 2005-12-15 10:38 | 原稿書きの合間に
覚え書き1
ハプスブルクはもともとスイス北東部のチューリッヒの近く、アールガウを中心にスイス各地に散在する所領を持つ貴族で、名前の由来となったハプスブルクもアールガウにあった城の名前である。
ハプスブルクの当主ルードルフ二世は、レンツブルク家とベルンなどを建設した名門ツェーリンゲン家の断絶を利用し、神聖ローマ帝国内のシュタウフェン家に忠誠を誓い、その庇護の下で勢力を拡大していった。
この老ルードルフ二世には二人の息子がいた。兄は「賢い」と渾名されるアルブレヒトで、弟は「無口」と渾名されたルードルフ三世である。
1232年に老ルードルフが亡くなり、二人の息子に所領が分割される。
兄アルブレヒトはキーブルク家のハイルヴィヒと結婚し、アルザスやアールガウなどのハプスブルク本家の所領を得るのであるが、聖地エルサレムへ出征し、亡くなる。
一方の弟のルードルフ三世は、ラウフェンベルク家を名乗り、スイス内のゼンバハやヴィルザウを獲得していた。
アルブレヒトのあとを継いだのは22才のルードルフ四世であった。彼もシュタウフェン家に忠誠を誓い、勢力を拡大していった。
キーブルク家が1264年に断絶した時には、その所領を狙うサヴォア家を出し抜き、その所領を受け継ぐとキーブルク家を相続したアンナをラウフェンベルク家のルードルフ三世の息子エーベルハルトに嫁がせて、後見としてアールガウの所領を自分に売却させ、アルザスから中央スイスに至るまとまった領土を得る。
しかし、こうして大きな勢力を持つ存在となっていたことは、神聖ローマ帝国内ではほとんど知られておらず、依然、ただの田舎貴族と考えられていた。
1278年に大空位時代が終わり、皇帝選挙が行われた際、この弱小貴族で与しやすいと考えられていたことで、当時、皇帝選挙の最有力候補であったボヘミアの王オットカールを出し抜いて、ルードルフ四世が皇帝に選出された理由であった。
by Schweizer_Musik | 2005-12-15 10:15 | 原稿書きの合間に
フォーレのアヴェ・マリア
フォーレのアヴェ・マリアという曲はご存知だろうか。1871年、パリ・コミューンから逃れてスイスにやってきたフォーレが、勤めていたニーデルメイエル音楽学校(彼はここの卒業生だった)の学生たちと、グラン・サンベルナール峠に登り、そこの修道院で歌うためにフォーレが書いたものだ。
短いその曲を聞きながら、心が本当に癒される思いをした。私がここに行ったのはもう随分前になるし、その上天気が悪く、何も見えなかった。八月でも天気が悪ければ雪になるようなところだ。冬は雪崩などで旅人が多く遭難した難所であった。
ローマ人が作った峠道でありながらも、アルプスの峠はどこも壮大な美しさと自然の厳しさを併せ持つのだ。ここの旅人を助ける目的で修道院がおかれ、遭難者を助けるために犬を飼っていたのだが、それがセント・バーナード犬である。
峠には、今もセント・バーナード犬がたくさん飼われているが、それは遭難者の救出のためではなく、観光客のためである。今日では雪崩に巻き込まれた人を探すのはセント・バーナード犬ではなくシェパード犬などが多いそうだ。
アヴェ・マリアの楽譜を先日ようやく購入した。フォーレの合唱曲集の中に入っているもので、それしか私には探せなかった。
たった2ページ。他の曲はほとんどがすでに私は楽譜を持っているので、このアヴェ・マリアのためだけの出費であったが、8000円ほどのその価格は高かったが、それを聞きながら、楽譜を眺めてみて、色々と疑問だったところがわかった。
ベルナルド・ラバディー指揮ケベック教会合唱団で、リチャード・バレのオルガンによるその演奏(Ades/202132)は、柔らかな響きでとても美しい。ただテンポの揺らし方が楽譜の指示によるものかどうかがわからなかった。
楽譜を見てみて、ざうやら指揮者の解釈らしい。何しろ1960年代まで知られていなかった曲である。出版を考えていなかったはずで、フォーレも峠の修道院で歌ったら終わりのつもりで、楽譜に演奏上の指示を細かく書いていないようだ。
こうした楽譜はたくさんあるが、フォーレには意外と多い。
ついでに楽譜をフィナーレで作ったので、公開しておこう。男声三部とオルガンのために書かれている。
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by Schweizer_Musik | 2005-10-17 18:27 | 原稿書きの合間に
時を告げる音
ローザンヌの大聖堂には時を告げる人が今もいる。テレビでも何度か紹介されているので、ご存知の方も多いことだろう。
夜の10時から深夜の2時まで、1時間毎に「今、何時だ」と大聖堂の塔の上から時を告げる鐘の音ならぬ人の声が響き渡る。この時代に必要かどうかは別にして、「観光用」という側面も少しはあるにしても、伝統を維持するヨーロッパの心が見えてくるようである。

時を告げると言えば、人の声よりも鐘の音の方が一般的だろう。ヨーロッパの教会などの鐘楼はそうした役目を担っていた。我が国でもお寺の鐘が時を知らしていた。今は「騒音」だとかいう理由で、その習慣は無くなってしまった。
マンションのベランダに風鈴をつるすだけでクレームが来る時代である。その割には駅のアナウンスや発車ベルをうるさいと言う人はいない。ホント、変な国である。そして我が国の伝統は失われてしまった。
音に対する伝統を、庶民文化の中で残そうという発想はどうも我が国にはないようだ。

ヨーロッパに戻ろう。昔は村の、あるいは町の鐘の音が届く範囲がその村の権力の及ぶ範囲であった。田舎の方に行くと、そういう発想はまだ生きているのだ。だから、鐘楼はその村の象徴で、大切にされた。

モーツァルトの手紙の中に「塔の音楽家」という記述があるそうだ。塔の音楽家というのは、時を告げるホルン奏者やトランペット奏者のことで、塔からトランペットやホルン(別に合奏しているのではない。もちろんソロだ!)が吹奏して時を告げていた。
こうした金管楽器は狩りにも使われたし、戦争などでも使われた。
ウィーンではホルンだったと、どこかで読んだ気がするが良く憶えていない。
佐伯茂樹氏が書かれた<<名曲の「常識」「非常識」>>という本の中でも触れられていることであるが、ベートーヴェンの「田園」の終楽章の最後でホルンにミュート(弱音器)が要求されているのだが、これは時を告げるホルンの夜の音だったそうだ。
ホルンがミュートをつけて倍音を静かに吹奏しているのを聞いたウィーンの人々は、夕べの時を告げるホルンを連想したに違いない。

音楽には色んな聴き方があり、こうした背景を知らずにいてもかまわないのだが、知ることによってより音楽が立体的に聞こえてくるものだと、私は思う。
いかがだろう。
by Schweizer_Musik | 2005-10-10 19:23 | 原稿書きの合間に
歌曲の調性・・・
エリー・アメリンクの旧録音は主にメゾ・ソプラノ用に移調された楽譜が使われているが、新しいヤンセンとの録音では高声用の楽譜であるようだ。「恋人のそばに」D.162もイ長調で歌われているが、シュヴァルツコップは変ロ長調で歌っている。
「野ばら」は、ボールドウィンとの旧録音でホ長調、ヤンセンとの新盤ではヘ長調である。原曲はト長調で、それで聞きたいならばポストリッジなどのテノールで聞くと良い。
面白いのはシューベルトの子守歌であるが、エリー・アメリンクの旧録音はト長調であるが、新盤はイ長調である。グラモフォンの全集に収められていたヤノヴィッツはその間である変イ長調で歌っていた。
普通の高声部用の調性を選ぶ場合もあり、「糸をつむぐグレートヒェン」はシュヴァルツコップなどと同様、ニ短調で歌っている。ちなみにルートヴィヒなどのアルトはロ短調を選んでいる。
声楽家が、自分が歌う調性を時として変えることはしょっちゅう行われるものではないが、エリー・アメリンクほどの人が行っているのは面白いと思う。
そう言えば、ある人気のあるテノール歌手が、ハイCが出ないと言って、オペラの公演で調性を低く移調してあるアリアを歌ったと言ってスキャンダルになったこともある。デリケートな部分だけに、これを問題にしすぎるのはどうかと思うが、ハイCが呼び物の歌劇で主役を歌う歌手が、その音が出せないというのは、確かにスキャンダルになりうる。
しかし、それとアメリンクの調性の変更は、少し違ったところにある。というのは、高音を聞く音楽ではないからである。

私はかつてある人から、曲には決まった調性があるので、勝手に移調するなんてけしからんと言われ、ちょっとした言い争いになってしまったことがある。その方は絶対音感があるのだろうけれど、私は無い。確かに調性が性格を作るというのは正しい。変イ長調の豊かな響きとイ長調の透明感のある響きは全く違うものだ。たった半音だが・・・。
だが、声楽家の場合は声とコンディションに大きく左右される。アメリンクのように軽い発声ならどうなのか、私は専門家でないのでそこまではわからない。ただ歌を書く時は、相手がどういう声域と特徴を持っているか、知らないで書くことはできない。オーダーメイドの歌だから、その人にピッタリの歌を書きたいと思う。
しかし、音楽は作曲家の手を離れると一人歩きし、一人で成長していく。解釈され、違った服を着ることもあるだろう。次第に色々な解釈で曲が多層的に聞こえ始めることもある。それが歌曲でも同じ事だ。

シューベルトの歌曲をあれほどたくさん録音したフィッシャー=ディースカウも、ほとんど調性を変えて歌っていることをご存知だろうか?シューベルトはほとんどのはフォーグルという宮廷歌手だったバリトン歌手のために書いた。あの「魔王」から「冬の旅」などほとんどが彼によって初演されている。しかし、その原曲の音域は、バリトンでは絶対に無理という高い声域を含んでいて、現在のバリトン歌手では無理。ただ、当時の調律は多少低かったということもあるが、それを考慮しても決定的に高い。
フォーゲルはどういう風に歌ったのだろう?今となっては、それは想像をたくましくするしかない。鼻歌でファルセットを使って歌ったのだろうか?ちょっとこれは無理がありそうだ。私はシューベルトの意図はこの高さでありながら、曲によって(連作歌曲の場合は)前後の曲の調性との関係を考慮しながら、移調して歌われたのではないかと思うが、これも勝手な想像でしかない。
ヘフリガーやシュライヤー、ポストリッジなどのようにテノールならほぼ原曲の通り歌えるのだ。
で、アメリンクはどうなのだろう・・・。彼女はソプラノだから、ほぼ原曲の調性で歌えるはずなのだ。ソプラノなら余裕で出せる音域で書かれている。でも旧録音では、少し下げて歌っている場合が多いのは、どうしてだろう。
私は、より表現に余裕が欲しかったのではないかと考えている。ベル・カントのような発声とは全く異なる、サロン向きの発声で歌っているからだ。高い声なら、多少表現が硬くなってしまうおそれがあって、それで低く下げたのか。声楽家の方に専門的なご意見をうかがいたいところだ。
私は、原作の調を移調しても、原曲の調性を想像させるような弾き方、タッチで歌われる、あるいは伴奏されるべきものであると考えている。原調は作曲家の意図に迫るヒントでもあると思うからである。だからと言って、調を変えてはならないというピューリタンには与したくない。
by Schweizer_Musik | 2005-09-24 10:03 | 原稿書きの合間に
ルソーのむすんでひらいて
ルソーの「むすんでひらいて」で検索をかけたら、今もルソーの作曲と誤解している書き込みがあるようで、これも氷山の一角と思われる。
私も昔は誤解していたので、エラソーなことを言えた柄でもないのだが・・・。

ルソーは「社会契約論」や「人間不平等起源論」「エミール」などといった著作で知られる思想家、文筆家というだけでなく音楽家としても一流であった。少年の日、シュザンヌおばさんが歌うシャンソンを聞いて育った彼は、音楽への情熱を生涯にわたって燃やし続けたのだった。
その彼が書き上げた歌劇「村の占い師」は、ルソーの代表作というだけでなく、当時の大ヒット作品であった。フランスでも、また訪れたイギリスでも人々が喝采をもって迎えた作品だった。
第8場のパントミムの冒頭のメロディーをもとに、ルソー自身があずかり知らぬところで作り出されたメロディーにルソーの名前がついて広まっていったこの音楽については、海老沢敏氏をはじめとして、内藤義博氏などが詳しく述べておられるので、私がどうのこうのと言うことはない。内藤先生は執筆された論文などをネットで公開されているので、そちらにこのあたりの事情をくわしく述べておられるので、ぜひそちらを読んでいただき、私も誤解していたこのルソーが作曲した「むすんでひらいて」というフィクションを正しく理解してもらいたいと思う。

内藤先生の「ルソーの音楽」詳しくはこちら!内容が豊富で、これだけネットでまとめておられる方は他におられない。空前絶後の素晴らしいページ!!ぜひ!!
by Schweizer_Musik | 2005-09-23 18:36 | 原稿書きの合間に
原稿が完成・・・
三日ほどこもって原稿の仕上げをしていた。と言っても、色々と本の中に使う写真をスキャナーでとりこんで画像処理して、それをイン・デザインというソフトに取り込み、本の体裁にしていくという作業をしていたのだから、原稿を書いていたというのとはちょっと違うが・・・。
それでもデジカメを使うようになる以前は、完全な銀塩派だったので、写真だけはたくさんあるのだが、それをスキャナーで取り込むのは大変面倒。邪魔な背景の人を消したり、ノイズを取り除いたり、曇っているのを晴れにしたりとフォトショップの技を使ってやっていた。まぁ、結構上手いものだと自分で思ったりするのだが、一枚、二枚だとなんてことはないのだが、100枚以上、やったのは性格に176枚。で使ったのは50枚程度で、デジカメで撮ったのが50枚くらいか。
イン・デザインはそう使ったことのあるソフトでないので、時間がかかったし、ただテキストをと写真を並べただけなので、使いこなしているとはお世辞にも言えそうにないが、何とか完成。350ページ以上になってしまったので、これから削らないと・・・。250ページ程度が理想的なので、そうしたいのだが・・・。また表紙を作らないと。
明日から学校である。すぐに試験期間になるので、その準備でたいへんだ。
夏休み、遊んでいたわけではないが、終わってみると、何をしていたのだろうと考え込んでしまいそうになる。
とりあえず、一応の完成だ。本に使わないことになった原稿はこのブログで公開していくことにしようと思っている。
ということで、ちょっとご無沙汰してしまった。
by Schweizer_Musik | 2005-08-29 23:48 | 原稿書きの合間に
譜例について
譜例についてのお問い合わせがメールを含めて3人ほど(私にとっては大人数!!)からありましたので、お答えしておきます。
楽譜はフィナーレという楽譜作成ソフトで作り、それを画像で出力し、フォトショップで必要なところだけ切り取るなどして作っています。ちょっと手間ですね。
スキャンすると細部がつぶれて使い物にならなかったり、ゆがんだりして使いにくいのでやめました。まぁ、著作権の問題もあるでしょうから・・・。
ネット上に公開されているものを使うのも手でしょうが、どうなんでしょうね。
by Schweizer_Musik | 2005-07-01 21:15 | 原稿書きの合間に