カテゴリ:原稿書きの合間に( 96 )
遅れに遅れている・・・
ああ、原稿を書く時間がとれず、遅れに遅れている。こまったものだ。ようやくバーゼルを書き上げ、バーゼル・マドリガリーステンやネフ、オルガニストのルドルフ・シャイデッガーなどについて書き上げた。
続く章も半分ほど終わる。予定をかなりずれ込んでしまったのはなんとも情けない。あと二〜三日で書き上げたいのだが、時間はなし。やれやれだ。
by Schweizer_Musik | 2005-05-29 18:26 | 原稿書きの合間に
松下真一のシンフォニア・サンガを聞く
c0042908_15145735.jpgレコード・プレーヤーを買ってコンピューターに取り込みながら、昔のレコードを次々を聞き、感慨にふける。
松下真一のシンフォニア・サンガのレコードは、私が大学四年の時に買ったもので、ひたすら懐かしく、初めて聞いた時の感動が思い出された。
前衛的な作曲法で知っていた松下真一氏の声楽作品が東洋の仏教を基盤として書かれたことにまず驚き、意外なほど平易な語法で書かれたその作品は、私の心をとらえてはなさなかった。余白に入っていたフレスク・ソノールの厳しい響きに対して、シンフォニア・サンガは、おおらかそのものに聞こえた。
今、聞き返してみて、その時に思ったことがそのまま思い出された次第である。その松下真一氏も世を去られてもう十五年にならんとしている。なんとしたことだろう。
秋山和慶氏の指揮の見事なこと!!こうした名盤がもう一度CDになって出てこないものだろうか・・・。
by Schweizer_Musik | 2005-05-19 15:13 | 原稿書きの合間に
細川俊夫氏からメールをいただく!
細川俊夫氏からメールをいただく。現在マインツにおられるそうだ。このブログでデメンガ氏の演奏したバッハの無伴奏や細川俊夫氏とイサン・ユン氏の作品をいれたCDについてのレビューを書いたことへのお礼のメールだった。
ひたすら恐縮する。良いと思ったCDをただ人にちょっとでも紹介したいと思って書いているに過ぎないのだから・・・。でも大変嬉しい出来事で、今月最大のニュースとなった。こんなマイナーなブログを読んでもらえたことがとても嬉しいことだった。
by Schweizer_Musik | 2005-05-16 22:20 | 原稿書きの合間に
「原爆小景」を聞きながら思ったこと
ついにと言うべきか、つまらない「マスコミ」のおかげですっかり問題がすり替えられてしまった宝塚線の事故についてだ。新聞記者は事故を糾弾する立場にあらず。こんな簡単なことすらわからない者が報道の現場にいるとは・・・情けなくて涙も出ない。これこそ恥を知れである。
作曲家の林光氏が「原爆小景」の作曲にあたって書いている。
曰く、
さいきん、ある書評週刊誌が募集した懸賞論文のなかに、原水爆反対のためという大義名分を免罪符にして、なんの痛みもなく被爆者の写真をかかげて歩く「運動者」たちを告発したことばがあった。私は、私の「原爆小景」のことをあらためて思い起こした。私はそのような「運動者」たちと私とはちがう、私の作品は、被爆者の引き延ばし写真のパネルをかかげて大通りを歩いているようなものではないと強く否定する内心の声をききながら、しかし浮かぬ気分であった。

こうした言葉をこの音楽に寄せる作曲家の心は、常に被爆者たちとともにあると私は思う。
大義名分を着て、JR職員に暴行を働くなど、言語道断である。このような幼稚な人間をけしかけたのが報道であったこともまた悲しい。事故と全く関係のないボーリング大会や、個人的な飲み会に至るまで報道し、企業体質だと批判するのはいかがなものだろうかと私は思っていた。
報道がなければ私たちは事実を知ることができない。しかしそれが正しければの話である。ここに報道に関わる者の使命があり、その使命を果たすことからの誇りがあるはずだ。
しかし、この裏側には、林光氏のような自戒がベースにあることが前提であるのは言うまでもない。

私は広島に数年間住んでいた。私は被爆者でもなく、原爆をテーマに音楽を書くなどというのは恐ろしくて出来そうもない話だ。膨大な悲しみや怒りを私が表現することなんて、気が遠くなる。音楽で社会参加できるのかという古典的議論も再び頭をもたげて来そうだ。少なくとも、私はノーノなどと立場を異にするし、社会が安定してこその音楽であると信じている。音楽が社会貢献するというのはあまりに私には難しい話だ。
死者を悼む音楽も空々しいように感じる。本当に死者に捧げる音楽とはもっと個人的な思いに根ざしているのではないだろうか。「その人たち(遺族)の身になって・・・」などという偽善を演じることを、私は拒否する。

原爆小景という3曲の合唱作品を書いた林光氏の才能と、その誠実さを、久しぶりに聞いて心から感じ入った次第。それに対して、読売新聞の記者を初めとして、人として恥ずかしくないのだろうか・・・。それに軽々しくJRを批判する人も・・・。そうしたインタビューをとる人ととられる人、そしてそれを放送して煽る人。そこに、「未曾有大惨事」を二度と起こさないという大義名分が錦の御旗となって、暴力がふるわれるとしたら、これほど悲しいものはない。
JRは問題を隠蔽せずに、全てを開陳し、責任の所在を明らかにすべきだ。問題をうやむやにして責任逃れするのなら、またしても大きな悲劇を引き起こしかねない。そんな機関に成り下がったとしたら、もう我々の安全は誰にあずけたらいいのかわからない。真剣に反省し、襟を正さなくてはならないのはもちろんJRである。
しかし、職員に暴行をする者に一分の理もないタダの犯罪者であることだけは間違いない。しかし情けない時代である。本当に情けない時代だ。
「水ヲクダサイ」のクラスターが突き刺さってくる・・・。
by Schweizer_Musik | 2005-05-14 18:22 | 原稿書きの合間に
津田さんのリサイタルのプログラム・ノート
プログラム 宮崎2005年

Scarlatti Sonate E-Dur L.430
(1685-1757)
Beethoven Sonate Op.27 Nr.2 “Mondscheinsonate”
(1770-1827)
(Sonata quasi una Fantasia)
-Adagio sostenuto
-Allegretto
-Presto agitato
Chopin Etude Op.25-1 As-Dur / Op.10-3 E-Dur
(1810-1849)
Mazurka Op.17-4 A-Dur
Ballade Op.47 As-Dur

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Alberto Ginastera Danzas argentinas Op.2 (1937)
(1916-1983) アルゼンチン舞曲集
-Danza del viejo boyero 年老いた牛飼いの踊り
-Danza de la moza donosa 粋な娘の踊り
-Danza del gaucho matero はぐれ者のガウチョ(牧童)
Alberto Ginastera Rondo sobre temas infantiles argentinos Op.19
アルゼンチンの童謡によるロンド

Claude Debussy Clair de Lune (月の光)
(1862-1918)

Sergej Rachmaninoff Moments Musicaux Op.16
(1873-1943) Nr. 5 Des-Dur Adagio sostenuto
Nr. 6 C-Dur Maestoso


解説

1) スカルラッティ ソナタ ホ長調 L.430
 ドメニコ・スカルラッティは1685年、イタリアのナポリに生まれた作曲家です。スペイン皇太子の妻となったポルトガルの公女バルバラの音楽教師となったのが縁で、後半生はスペインの宮廷音楽家として過ごし、同地で亡くなりました。
 彼ははじめは宗教的な作品も書いていますが、スペインに移ってからはもっぱら鍵盤作品を書き続けました。その数なんと550曲。「ソナタ」というタイトルのそれらの曲は、ベートーヴェンなどのソナタと違い、単一楽章による小さな作品ばかりで、長くてもせいぜい4分から5分程度の長さです。小品ながらもその華麗で色彩的な音楽は今日でも大変人気があります。
 このホ長調の作品もそうした作品の一つで、優雅な宮廷風の音楽が味わえます。

2) ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調「月光」
 1801年、ベートーヴェンは、「月光」という名前で今日親しまれている第14番のソナタを書きます。ベートーヴェン自身はただ「幻想的ソナタ」と呼んでいたにだけでしたが、この第1楽章をドイツのロマン派詩人レルシュタープが「スイスのルツェルン湖に映る月光の波に揺らぐ小舟のよう」と言ったことから「月光」という名前で呼ばれるようになりました。
 第1楽章はゆったりとしたテンポで三連符の分散和音がさざ波のように揺れ動き、伸びやかなメロディーがその上に訥々と語り始めます。左手のバスがゆったりと一つずつ順番に下がっていきますが、それが全曲を貫くモチーフとなります。ソナタ形式と言ってもよいのですが、かなり自由な構造で出来ています。
 谷間の百合によく例えられる第2楽章は、とてもチャーミングで、魅力的です。三部形式で出来ていて、第1楽章でバスにあった下降するモチーフが、今度は右手のメロディーに出てきます。
 第3楽章は豪放な楽想を入念に練り上げてソナタ形式にまとめあげた、いかにもベートーヴェンらしいフィナーレです。第1楽章と同様、バスに下降音型が出てきて、全体をまとめあげるのに貢献しています。

3) ショパン 練習曲 Op.25第1曲変イ長調「牧童」、練習曲 Op.10第3曲ホ長調「別れの曲」
 12曲ずつまとめられた二つのショパンの練習曲集は、単なる指の練習にとどまらない芸術性の高い作品として、多くの名ピアニストたちに愛されています。
 作品25の第1曲で両手のアルペジオによる優美な作品で、後の人々によって「牧童」という名前がつけられ親しまれています。アルペジオに乗って右手が歌い上げる素朴なメロディーが牧童の吹く笛の調べを思い起こさせるからこの名前がつけられました。また優雅なアルペジオを指して「エオリアン・ハープ」とも呼ばれることもあります。
 続いて演奏される作品10の第3曲「別れの曲」は、ショパン自身が「これ以上美しいメロディーを生涯に書いたことがない」と友人のグートマンに語っています。それほどの美しいメロディー。今日ではポピュラー音楽にまで編曲されて多くの人に親しまれている名曲中の名曲です。

4) ショパン マズルカ イ短調 Op.17-4
 ショパンの数多いマズルカの中でも屈指の名作と言われる作品17-4は、一部でポーランド時代に書かれたと言われていましたが、その円熟した筆致により、今日ではもっぱらパリ時代のものであると考えられています。内省的で寒々とした主部に挟まれたイ長調のパグパイプ風の伴奏を持つ中間部との対比が鮮やかです。こうしたパグパイプ風の伴奏はマズルカではこれ以前にも多く使われ、ショパンの音楽の民族的な音楽との深い結びつきを表す好例であると申せましょう。

5) ショパン バラード 第3番 変イ長調 Op.47
 バラードとは譚詩曲という訳語があるように、詩を元に作られた器楽作品を言います。ですからこのショパンの曲も元になった詩があるのですが、それがミッキエヴィッツの「水の精」という詩であると言われています。
 詩の大意は次の通りです。
「森をさまよう若者は、湖のほとりで水の精と出会う。若者と水の精は恋に落ち、決して心変わりしないことを誓い合う。また別の湖のほとりで若者は別の美しい女に会うが、この女は水の精の化身であった。女は誘惑して若者の誓いを試す。そして若者がその誘惑に負けてしまった時、女は水の精に戻り若者に抱きつくとそのまま深い湖水の底へと引きずり込む。後には静寂が残った。」
 1840年から翌年にかけて書かれたこの作品は、当時のパリの社交界の好みを反映したもので、他の3曲のバラードに比べるとはるかに軽快で華麗な作風によっていると申せます。音楽は洗練の極みに達しており、彼の傑作の一つと言えましょう。

       ============= 休 憩 =============

6) ヒナステラ アルゼンチン舞曲集 Op.2
 ヒナステラは今日ではピアソラの先生として知られていますが、二十世紀南米の作曲家としてはヴィラ=ロボス、カルロス・チャベスといった人達とともに最も重要な作曲家です。
 彼はアルゼンチンの民族的な素材をもとに数多くの作品を残しました。戦後一時期、モダニズムを目指したヒナステラであったが、基本的にアルゼンチンの民族的な素材を中心に作品を作曲した。
 彼はスイスのジュネーヴに1971年から住み、スイスで活躍するチェリストの愛妻と過ごしていた作曲家は、亡くなるまでその創造力は全く衰えることなく、晩年に至っても愛妻のために書いたチェロ協奏曲第2番など、傑作を残しています。
 そうしたヒナステラのこのアルゼンチン舞曲集は彼の最初期の1937年の作品で、第1曲「年老いた羊飼いの踊り」、第2曲「粋な娘の踊り」、第3曲「はぐれ者のガウチョ(牧童)の踊り」という3曲からなり、民族的な舞踊のリズムが積極的に採り入れられた曲集となっています。

7) ヒナステラ アルゼンチンの童謡によるロンド Op.19
 戦後の1947年に書かれたやさしい作風による曲です。ヨーロッパからアルゼンチンに伝わったという古い童謡のメロディーをもとに、ヒナステラ自身の子供達のために書かれました。

8) ドビュッシー ベルガマスク組曲より「月の光」
 1890年に書き始められたこの組曲は、出版が1905年と遅く、この間、かなりの推敲が行われたと想像できますが、定かではありません。しかし、その精緻なピアニズムは後の前奏曲集や映像を予告するもので、初期の作風を色濃く残しながらも傑作として知られています。中でも第3曲の「月の光」は独特の美しいメロディーと響きによって人気の名曲となっています。聞く者に「月の光」を連想させると言えば、第1部で弾かれたベートーヴェンのソナタと双璧ですが、その表現している世界の何と異なることでしょう!

9) ラフマニノフ 楽興の時 Op.16より第5曲変ニ長調、第6曲ハ長調
 ラフマニノフは大変傷つきやすいデリケートな心の作曲家でした。ですから自信作であった第1交響曲に対する心ない酷評に対して、二年以上も全く作曲できないほど大きな痛手を被ることとなりました。
 この2年間の空白の前、最期に書かれたのがこの「楽興の時」で、初期のサロン風の作品から大きく芸術的にも成長した充実した曲集で、作曲されてすぐに出版されています。
 第5曲変ニ長調は「バルカローレ(舟歌)」で、ラフマニノフはこのスタイルでいくつかの作品を書いていますが、その最初の作例と言ってよいでしょう。左手のさざ波のような伴奏の上に訥々とメロディーが流れていきます。第6曲ハ長調は劇的でしかも堂々としており、全曲を閉じるスケールの大きな曲になっています。
by Schweizer_Musik | 2005-04-24 17:32 | 原稿書きの合間に
上の写真・・・
上の写真は私のスイス取材旅行で大切な助手を務めてくれたN島君の撮影によるもので、レマン湖畔の風景である。どこかは知らないが、おそらくローザンヌのウシーあたりではないかと想像している。白銀の山はフランス・アルプスだろう。自分で撮っていないので、エラソーなことは全く言えないのがちょっと寂しい。ああ自分で行けば良かったと思うところもあるが、それではとてもあんなに回ることは不可能だった。しかし、なかなか味わい深い良い写真なので気に入っている一枚だ。すでに私はあちこちで使ってしまっている。N島君、お許しを!!
ところで、スイスの写真ですから!決して琵琶湖でも北海道のどこかの湖水でもないので・・・。

今朝はこのブログの表紙の写真を今日五枚ほど作る。暇だったわけではないのだが、何だか落ち着かず、現代音楽のCDを聞きながらこんなことをやっていた。フィリップ・グラスの音楽など聞いていると、このスイスの風景とあまりに違う文化の中に生きている音楽だと痛感する。
音楽がその文化的背景を持っていることを、現代の音楽でも感じることができたのは一定の成果であった。明日は実技のレッスンと授業がある。どうも担任をやっていた時と違い、新しい授業を担当することになって、準備することがものすごく増えて大変だ。
午後からは明日の準備に専念せねば・・・。
by Schweizer_Musik | 2005-04-18 11:55 | 原稿書きの合間に
チューリッヒのトラム
チューリッヒのトラムについて、スイス関連の掲示板でその歴史の大まかなところを知ることができて大助かりである。
今日中には第二章が完成するだろう。N島君からインタビューの原稿も上がってきたし、色々と揃ってきた。私も佳境に入っている。
なるほどブラームスは歩くか馬車に乗るかしかなかったわけだが、あの急坂を馬車でというのも大変だろうなと思う。まぁ、スイスの峠道を行くことを考えればそれほどでもないが・・・。
現在、ドイツ語のトラムの年表を翻訳中。ドイツ語をもっとまじめにやっておけばよかったと、反省しきりの今日この頃である。
by Schweizer_Musik | 2005-04-14 12:14 | 原稿書きの合間に
やっと第2章のほとんどが出来る
かなりの難物だったが、なんとか出来た。あと前文がちょっとうまくいかない。なかなか難しいものだ。前文だから書きすぎてもいけないし、だからといってガイドブックのように内容のないものになってもつまらない。
宗教改革や歴史について触れすぎても硬すぎて読む気にならないのではと思うので、その方面はカットしつつも、中世の音楽について語ろうとすれば、どうしても宗教改革のついての基本的なことだけは抑えておかないといけない。何しろルターしか宗教改革をしていないと本気で思っている人が私のまわりに少なくとも10人はいる。また宗教改革って何って聞いてくる人はその数倍はいるようだから・・・。
各章の頭にのせる地図はなんとか完成した。明日はちょっと出かける用事があるので、あまり進まないかも知れないので、今日はもう少しがんばっておくつもり。
それにしても何とか終わりがかすかに見えてきた。どんな感じになるか、本にまとめるとはなかなか大変だが、方向が定まってくると何だか面白さが出てきた。
チューリッヒのことを思い出しながらの原稿書きは、本当に愉しく、写真など眺めていると、つい時間が過ぎてしまう。
by Schweizer_Musik | 2005-04-13 23:56 | 原稿書きの合間に
チューリッヒのトラム
久しぶりのスイス旅行から一ヶ月。今もその余韻に浸りつつも現場復帰?に向けて忙しい日々を過ごしている。
作曲家ブラームスが滞在したというフルンテルン。あるいはヘルマン・ゲッツが住んでいたというホッティンゲンがチューリッヒ中央駅から意外に遠いことに驚いた。トラムでほとんど移動したのだが、トラムが無かったとしたら馬車などの乗り物が身近になければとても外出が大変だろう。
ブラームスは朝5時に起きて、10時には近くのチューリッヒャーベルクの森へ散歩に出かけ、お昼にはチューリッヒ市街のレストランで昼食をとり、午後はヴィンタートゥーアなどの友人の家に出かけ、そこでピアノを弾いたりして過ごしたと言う。この移動は列車であったはずだが、チューリッヒ市内はどうだったのか?歩くのが好きだったブラームスだけに、全部徒歩だったのか。
音楽とは全く関係ない話かも知れないが、スイス好きにしてみれば、こんなところにもこだわりたいのだ。それによって更に生き生きとスイスのブラームスが見えてくるのではないだろうか。
現在、このチューリッヒのトラムの開通(区間はわからないが)についてどうも20世紀はじめらしいということまではわかったが、19世紀半ばのチューリッヒの人々の日々の生活の足は一体何だったのか。疑問だ。
これは旧市街だけの話ならなんということはないのだが、郊外まで範囲を広げると、意外にチューリッヒというのはリトベルク、チューリッヒャーベルクという山が意外と高く、高低差の大きい町なのだ。
大学に上がるケーブルカーの他にも市内にはケーブルカーがもう一つある。そんな町でブラームスやゲッツはどういう生活をしていたのだろう。
by Schweizer_Musik | 2005-04-13 09:59 | 原稿書きの合間に
ちょっとショック・・・
学校は今週末から始まるので、今は春休みなのだが、一年の授業の準備に、原稿書きにとそれなりに忙しい私である。去年まで担当していた担任を外れ今年は授業に専念することができるようになったのだが、今日、ちょっとショックな話が・・・。なんとクラシック・アレンジの授業がマックス30人以上のクラスになってしまい、それもキーボードがないという。今日まで準備していたことが駄目ということがわかり、食事の後じはらく呆然としていた。とは言え学生たちに迷惑をかけられないので、今日から準備しなくてはいけない。さぁ、どうするか。良いアイデアをあと三日で出さないと・・・。
今日は出版予定の本の最初の章が完成した。構成の仕方を変えて、更に地図を作ってあまり馴染みのない地名や地域について少しでもわかりやすくしようと努力してみた。またスイスでいただいたオケの写真をスキャニングして加工した。やはりカラーの写真は使い物にならなかった。白黒の写真はとてもうまくいった。これを使うことに決定。
そんなこんなであったが、今日は原稿の方は大分進んだ。大体45ページである。第一章はそれでも一番短い予定なのだ。さて続いて第2章を明日には書き上げたい。これと同時並行で授業の準備とは、やれやれである。
こんなことを書いているが、それでもナイターだけはビール片手にしっかり見ているのだから世話はない(笑)。今、プロ野球ニュースを見ているところ。こうして一日が終わっていく・・・。
by Schweizer_Musik | 2005-04-12 23:29 | 原稿書きの合間に