カテゴリ:若葉の季節…音楽を聞こう( 7 )
若葉の季節…音楽を聞こう -07. 武満 徹の「夢の緑へ」
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武満徹の作品、ギターとオーケストラのための「夢の緑へ」(1982)を取り上げよう。私の最も苦手?なギターが、こんなに上手く書けるように私も更に勉強しなくては…。もうため息の出る音楽である。
ギターとオーケストラのための作品と言えば、ロドリーゴのアランフェス協奏曲ぐらいしかないと思いこんでいる人が昔いたけれど(笑)、その彼に聞かせたい作品だ。
不思議な揺らぎが「夢」の世界を著しているのだろうか。色彩的なオケは、その昔、夢中になった「グリーン」を、そして遠くドビュッシーの作品を(例えば「遊戯」など)を思い起こさせるもの。
決まった律動というか、持続性のある律動を徹底して拒否しているような気がする。何かが動き出したら、すぐに舵を切ってしまう。息が短いのではと誤解されそうだが、その反対だ。音楽は深く、長く、永遠と手を結んだよう…。
当然ながらオケの持続的な響きを背景に、これ以上ないと思われる減衰音楽器のギターがメロディーを紡いでいく。
「緑」がテーマ。私は勝手に巨樹の梢の新緑を思った。滅多に目にすることができないだけに、その梢に吹き来る風に乗る新芽の香りを夢想してみた。
こんな美しい音楽を聞いて眠ったら、どんな夢が見られることだろう。

私はブリームのギター、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団による録音で聞いている。ジョン・ウィリアムズが弾いたものも良い。ナクソスに無いのはちょっと残念であるけれど、ここはぜひCDを購入してみられては?

写真は今日の散歩で撮った一枚をフォトショップで加工したもの。加工と言ってもフィルターをかけただけなので、これで加工なんて言ったら怒られそうだ。ちょっと「夢」らしくしようと思ったまで…。
by Schweizer_Musik | 2008-05-26 00:28 | 若葉の季節…音楽を聞こう
若葉の季節…音楽を聞こう -06. ブラームスの「五月の夜」
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初夏の清々しい空気を胸一杯吸いこんで、音楽を聞いてみよう。
五月ブラームスの歌曲「五月の夜」Op.43-2などはいかが?
1866年に書かれたこの作品は、ヘルティの詩に作曲されたもので、去っていった恋人の姿を追い求める詩人の心を切々と歌い上げているもの。
次にその訳をあげておこう。

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白銀の月が茂みの中を照らし
眠りを誘う光を芝生に投げる時
そして、ナイチンゲールのさえずる時
ぼくは茂みから茂みへと悲しくさまよい歩く。

木の葉に隠れ、番(つがい)の鳩が
その恍惚を鳴き告げる。しかし僕は背を向けて
もっと暗い木陰を探し求め、
孤独の涙が流れ落ちる。

おお、曙光の如く僕の心を照らすほほえみの姿よ、
いつ僕は御身を地上に見出すのか?
そして孤独の涙が
更に熱く震えながら僕の頬を落ちるのだ

(石井不二雄訳)
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恥ずかしながら私にはもう縁遠くなったものであるが…(笑)、この瑞々しい感覚は、壮年期のブラームスの淡いクララへの思いと重ね合わせてみたら良いのだろうか?
初夏のひと恋しくなる季節に良い作品では?
シューベルトも同じ詩に作曲しているが、ブラームスが除いた第2節も作曲しているそうだ。ただ、私の持つフィッシャー=ディースカウのシューベルト歌曲全集に収められた演奏ではその第2節が省略されていて、ブラームスと同じ構成となっている。
歌曲のことで時々調べていてお世話になる 梅丘歌曲会館のサイトによると「笛のような鳴き声を響かせるナイティンゲールがパートナーの雌と1つの巣の中で千回もの口づけをする」という内容なのだそうだ。
ブラームスと同じ構成にした理由はよくわからないが、シューベルトは短調で書かれ、ちょっとだけ「糸を紡ぐグレートヒェン」のような感触があり、比較的素朴な歌として書かれている。歌い始めを聞いていてふとマーラーを思い出してしまうのだけれど、それは反応しすぎだろうか?
ブラームスは心の奥底を探るようなところが長調の明るい響きで詩の内容と鋭く対比させているところに特徴があるように思われる。

> おお、曙光の如く僕の心を照らすほほえみの姿よ、
> いつ僕は御身を地上に見出すのか?

ブラームスの「五月の夜」を聞いていると、恋人を思う歌から神と対峙する敬虔な祈りへと止揚されているのではと錯覚をおぼえるほどだ。もちろん違うのだけれど、それほどの深みにはまっている。
シューベルトも一見素朴で深くなさそうなのだけれど、聞けば聞くほどに深淵をのぞき見るような恐ろしさがある。
もとの詩が「夜」をテーマとしているからだろうか?

私はフィッシャー=ディースカウがバレンボイムと録音したものも好きだが、白井光子さんが録音したものを溺愛している。彼女の歌を聞いて心打たれない人がいたら、その人は恋なんてしたことがない人だろう…。
by Schweizer_Musik | 2008-05-25 07:18 | 若葉の季節…音楽を聞こう
若葉の季節…音楽を聞こう -05. バックスのウクライナの五月の夜
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またまたバックスで恐縮であるが、ロシア組曲の第2曲にノクターン「ウクライナの五月の夜」という美しい作品があるので、リムスキー=コルサコフと同じようなタイトルでありながら、ちょっと趣の異なる作品ということで紹介しておきたい。
リムスキー=コルサコフの音楽に暖かく心地よい五月の空気が感じられるが、バックスのこの作品は夜の神秘性がより強く感じられる。和声もリムスキー=コルサコフよりもずっと近代的になっているのは当然としても、感じられる肌触りというか、受ける印象がどこか似通っているのは面白いと思う。
1919年の作品ということだが、番号をつけていない交響曲「春の炎」という作品はすでに書いていたものの、1921年に書き上げられる交響曲第1番の前の作品ということになる。
この作品が聞かれるバックスの管弦楽法は誠に見事としか言いようがないほどで、彼がオーケストラ作品の分野で、高い技術をすでに身につけていたことを物語っている。
その基礎的に部分の多くが、リムスキー=コルサコフに負っていると私は感じている。伝記などを読んだわけではないので、詳しいことはわからないけれど…。
しかし、リムスキー=コルサコフはストラヴィンスキーやラヴェル、レスピーギなどの近代管弦楽法を確立し、多くの大作曲家たちに影響を与えたことだけでも、その業績はどれだけ高く評価してもしすぎるということはない。
ちなみにストラヴィンスキーの「火の鳥」は、リムスキー=コルサコフの延長にあると見なすべきだ。
様々な変遷があったとは言え、ストラヴィンスキーは一生この延長にあったと私は考えている。
話がずいぶん横道に逸れてしまったが、この作品はNMLにあるので、入会している方はぜひ御一聴をお薦めします。第1曲の「ゴパック」、第3曲の「ヴォトカの店で」もなかなか良い曲。
by Schweizer_Musik | 2008-04-30 11:51 | 若葉の季節…音楽を聞こう
若葉の季節…音楽を聞こう -04. ヨハン・シュトラウスⅡの「シトロンの花咲くところ」
c0042908_1175093.jpgヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「シトロンの花咲くところ "Wo die Citronen blüh'n"」Op.364 (1874)もとりあげておかないと…と思い始めて、今朝撮った花の写真とともにアップしておく。断るまでもないが、これはシトロン(レモン)の花ではない…。
このワルツは「春の声」などと同じように、ソプラノの独唱と管弦楽のための版もあり、私はこちらの方がずっと好きなのだ。グルベローヴァのものやリントが歌ったものもあるが、今も手にはいるのだろうか?
NMLにもソプラノ版があるが、マリリン・ヒル・スミスのソプラノはスープレットの可愛い声で曲に合っていると思う。高音部で若干発声が荒くなるのはいただけないが、まっ我慢して聞くことにしよう。ポラックの指揮するスロヴァキア放送ブラティスラヴァ交響楽団の演奏は、あまりチャーミングではないけれど、誠実でエドリンガーなどのマルコ・ポーロ・レーベルお抱えの指揮者たちのどうしようもない腰の重さはなく、この分野ではさすがに手慣れた演奏をしてくれる。
オケのみならばやはりロベルト・シュトルツ指揮ベルリン交響楽団の演奏が最も美しい。弦がメタリックに聞こえるのはちょっと時代がかったものだが、それさえ我慢すれば、音楽として勢いもあり、よく考えられたバランスで、とても美しい。
ボスコフスキー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の録音は録音が自然で良いのだけれど、少しサラリの流したようなところが好みを分かつように思う。
マルコ・ポーロの全集のVol.2にあるアルフレッド・ワルター指揮のものは、よくまとめていて特に不足はないが、表情が前2者に比べ平板に感じられる。しかし、二流扱いでポロくそに言うほどでは決してない。丁寧な仕上げでこれはこれで私は十分満足している。

ところで、レモンは五月の他にも八月、十月頃にも咲くので、五月の花というのもどうかと思うが、アルプスの北側に住むドイツ系の人々にとってあこがれの土地なのだそうだ。確かに、バカンス・シーズンに暑いのに何故かルガーノではドイツ系の人が目立っていた。
ヘッセやワルターもルガーノに住み、お墓もこのルガーノにある。今年はどこかで時間を作ってルガーノの街を久しぶりに歩いてみたいものだ。
by Schweizer_Musik | 2008-04-30 11:25 | 若葉の季節…音楽を聞こう
若葉の季節…音楽を聞こう -03. シュトラウスⅡのワルツ「おお、美しき五月よ」
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ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「おお、美しき五月よ "O schoner Mai!"」Op.375 (1877)を取り上げよう。
あまり演奏されない作品ながら、チャーミングなメロディーに魅了させられる作品。ヨハン・シュトラウスがいかに優れたメロディー・メーカーだったかを痛感させられる。
一般的なワルツ集でこの作品が入っている可能性は限りなく"0(ゼロ)"に近い。
もともと喜歌劇「イェルザレムの王子」の挿入曲として書かれた作品なのだが、どうしてこんなに人気がないのかは不明。ただ、ウィーンの超人気音楽家であったロベルト・シュトルツが録音したワルツ大全集にはこの作品が収められており、この演奏が今もって私にとって最高の録音である。
NMLにあるマルコ・ポーロ・レーベルのヨハン・シュトラウスⅡ世の全集ではVol.4にこの作品がリヒャルト・エドリンガー指揮 スロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で入っているけれど、シュトルツの演奏と比べる水準にはない。リズムは重く、表情は平板でアンサンブルは今ひとつの代物…。ほとんど別の曲に聞こえてしまう。
こうして比べてしまうと、シュトルツが録音しておいてくれたことを、心から感謝せねばならないだろう。
ヨーロッパでは「五月」は春と夏が一度に来る。スイスの多くの日本人が訪れるグリンデルワルドの丘は一面がクロッカスの花で埋め尽くされ、雪解けを祝福していることだろう。
皆、夏のバカンスに備えをはじめ、薫る風に季節の移り変わりを感じているのではないだろうか?
カルミナ・フラーナも五月から始まる。そんなことを思いながら、この素晴らしいメロディーをシュトルツの棒で聞く喜び!これぞ音楽の楽しみ!である。

上の写真は今朝の散歩の時の朝日に輝く林を写した一枚である。季節、時間、天候によって同じ道、同じ風景が千変万化していく。表情の様々な変化を楽しむのも散歩の楽しみだ。だからロクな運動になっていないのは問題なのだけれど、気分はとてもよろしい!
by Schweizer_Musik | 2008-04-30 10:53 | 若葉の季節…音楽を聞こう
若葉の季節…音楽を聞こう -02. リムスキー=コルサコフの歌劇「五月の夜」序曲
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写真は昨日の黄昏時に散歩に出て撮った一枚。この林は落葉樹の林なので、季節感を感じるにはうってつけなのだが、昨日は蚊がかなり出てきたのには驚いた。しばらく写真を撮っていたけれど、この蚊の出現で早々に退散することになった。季節はもう初夏である。
さて、この新シリーズ第2弾は、リムスキー=コルサコフの歌劇「五月の夜」序曲を取り上げようと思う。
1880年に初演されたこのオペラ、全曲は聞いたことがなく、私はもっぱらこの序曲だけであるが、意外によく書けた作品で私は結構気に入っているのだけれど、みなさんはどうだろうか?
リムスキー=コルサコフは私の知る限りで16作の歌劇を書いており、他にもムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」や「ホヴァンシチナ」、ボロディンの「イーゴリ公」などの補筆・改訂(一部にはいらざる「改悪」と言う人もいるけれど…)をしたりと、この分野のオーソリティーだったことは意外に知られていない。
大体、19世紀の帝政ロシアの末期は、革命前夜はいざ知らず、歌劇やバレエが音楽の花形であったのだから、チャイコフスキーをはじめ作曲家という作曲家はオペラでの成功を夢見ていたのだ。
だから、歌劇作品は力の入り方が違うように思う。
この「五月の夜」も彼のオペラ作品としては比較的早い時期の作品ながら、入念に作品を仕上げており、管弦楽作品としてもかなりの熟練の技が聞かれる作品である。
民話を題材としたものだそうで、ロシア独自の音楽文化を創り上げようという彼らの思想を表したものだとも言えるが、シェエラザードやアンタールのようなエキゾチシズムよりも普遍的な語法によるもの。
その点が、この作品を地味な存在にしているのかも知れないけれど、ウクライナの民謡などを積極的に用いていて、チャイコフスキーなどの作品の完成度に迫る逸品だと思う。
物憂い楽想が、ふわふわと舞う綿のような花弁のように(六月頃になればモスクワはそうした白い綿のような花だったか種子だったで、街が白くなるほど…である。ちょっとした私の思い出から…)流れ、穏やかな「五月の夜」を歌い上げる。終わる少し前に少し激しい部分はあるけれど、それも長くは続かず穏やかな音楽に吸収されていく。
民謡を素材として用いたため、若干テーマ間の対比が乏しく、平板に感じられるかも知れないが、そうした問題をゴロフチン指揮モスクワ交響楽団はよく補っていると思う。
オケのアンサンブルに若干の問題は残っているけれど(管楽器が全体に硬く、表現がせせこましい…。それに弦のピッチが若干甘く感じられる)やる気のなさ気なヤルヴィのシャンドス盤よりもずっと良い。
ディヴィッド・ジンマン指揮ロッテルダム・フィルの録音はとてもうまくクリアしていた名演だったけれど、今も手に入るのだろうか?ちょっと心配ではある。
by Schweizer_Musik | 2008-04-30 08:59 | 若葉の季節…音楽を聞こう
若葉の季節…音楽を聞こう -01. バックスのオーバード「サセックスの五月」
春というよりもう初夏と言ってよいような季節がやって来た。散歩に出れば若葉が風にそよぎ、清々しい大気に可憐な花の香りが揺れている…。
「春はあけぼの…」シリーズはこの辺りで終わりにして、初夏のシリーズに移ることにした。
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その第一回にとりあげるのはイギリスの作曲家、アーノルド・バックスが書いたピアノと管弦楽のための朝の歌「サセックスの五月」(1947)。
ハリエット・コーエンについてはすでに書いたので割愛して、まず一聴してほしい。このどちらかというと重厚な作風が印象的な作曲家が、かくも清々しい音楽を書いたことに驚くことだろう。
ハーモニーの柔らかな変化に、彼がドビュッシーなどのフランス近代から多大な影響を受けたことを示しているが、六十才を越えた彼が、これほど瑞々しい感覚を持ち得たことにまずは感動…である。
マーガレット・フィンガーハットのピアノ、ブライデン・トムソン指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。CDは今も売っているのかどうかは知らないけれど(何しろ20年以上前に購入したものだから…)、まずはこれで…。
なんと、シャンドスが参加しているのにナクソス・ミュージック・ライブラリーにもこの録音は収められておらず、紹介するのは誠に心苦しいのだけれど、五月の清々しい空気感を表したこの曲はこの他の録音をしらないもので…。
演奏はピアノのまずまずの演奏だが、トムソンの指揮はかなり荒っぽいものでロンドン・フィルの技術に救われているものの、もっと精緻な演奏が望まれるもの。でも私はこの演奏でこの曲に出会って、この曲を好きになったのだから、あまり悪く言うのはよしておこう。
録音が今も手に入ることを祈るばかりである。

写真は昨日の散歩の途中で撮った一枚。この木が好きで、今まで何枚も撮ってきたけれど、空が曇っているのは残念だが、緑が(露出をかなり補正している)を何とかだせたかな…と思っている)とても美しいので、ここにあげることにした。
by Schweizer_Musik | 2008-04-27 10:04 | 若葉の季節…音楽を聞こう