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オネゲル/クリスマス・カンタータ ****(推薦)
オネゲルのクリスマス・カンタータは、彼の作品の中でも私が愛してやまない作品である。一九五三年の一月、親友のザッヒャーの委嘱によって書き上げられたこの作品は、有名なコラールのメロディーが高らかにクライマックスで響き渡り、受難向こうに清浄な天使の歌声と降誕が歌い上げられる。名オルガニストのマルセル・デュプレが初演のオルガン・パートをぜひ弾かせてほしい言って、この巨匠が参加しての初演は、会場中が感動の渦に巻き込まれたという。デュプレは感動のあまり涙が止まらなかったと伝えられるが、確かに今聞いてもこの作品の持つ力は永遠のものだという気がしてならない。
20世紀に書かれた文句なしの傑作であろう。私の無人島の一枚の一つでもある。この音楽が無人島での孤独をどれだけ慰めてくれることだろう。
さて、このCDであるが、マルティン・ネアリー指揮のウィンチェスター大聖堂合唱団他による演奏は丁寧でとても美しい。(実は音楽が素晴らしいために、少々の演奏でも十分感動してしまう嫌いがなきにしもあらずだが・・・。
このCDをどうして手に入れたかどうか憶えていないが、この演奏とペシェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団他の演奏で私は持っているだけだ。他が目に付けば買っているはずだが、まぁ、この二枚で満足してしまっていることも理由の一つだ。
「バラの花の出現」での少年合唱の清らかなこと!!。クリスマスを心から穏やかに優しく祝う音楽だ。このあたりからどんどん音楽は清らかに天上の世界を目指し始める。「いと高きところから神の使者は来る」と歌うと「おお幸福なる者、賛美される者!」の合唱の中によく知られたクリスマス・キャロルが響き、クリスマス気分をどんどん盛り上げていく。やがてバッハの有名な「目覚めよと呼ばわる声がする」の中で使われたニコライのコラールがトランペットに高らかに響き渡り「おお、全ての異教徒も主を賛美する」と歌うそれは、キリスト教徒ならずとも感動的な瞬間である。
バリトン独唱はドナルド・スウェーニー。特に不満はない。オルガンはティモシー・ビィラム=ウィグフィールドである。マルセル・デュプレほどではないのかも知れないが、私は十分に感動して聞いている。オーケストラはイギリス室内管弦楽団。演奏はまずまず、でもこの音楽の魅力は多少の不備をも乗り越えてしまう素晴らしさだ。ぜひ一聴されることをお薦めしたい。

他にプーランクのミサ曲とクリスマスの4つのモテットも入っている。無伴奏の合唱曲でこれまた名曲である。ただ、これらの作品についてはもっと良い演奏が可能だろう。マルティン・ネアリー指揮ウィンチェスター大聖堂合唱団は出来としてはまずまずで、敬虔な雰囲気もあるが。
ごめんなさい、私はオネゲルの魅力に完全にいかれてしまっているようだ。

EMI/7243 5 66118 2 5
by Schweizer_Musik | 2005-02-28 07:16 | CD試聴記
ブルックナー/交響曲 第8番/ベーム指揮トーンハレ管 ***(注目)
1978年、カール・ベームがまだ矍鑠としていたかはともかく、晩年に近いこの時期の客演指揮でどのくらいの成果があるか不安だったが、一応私の大好きなスイスのオケに客演しているので聞いてみた。
ベームは亡くなる前年あたりにはもうほとんど指揮していなかった。ほとんどオケが自主的になんとかしていた。そうした中で自発的に崩壊しそうなテンポをまとめ上げた「ベームの指揮した」ウィーン・フィルによるモーツァルトの交響曲第29番がある。あれを聞いたとき、もうベームは終わったと思ったが、その音楽を支えているウィーン・フィルの面々の音楽性の高さに驚きもし、感動もした。
話が横道に逸れてしまった。ベームのチューリッヒに客演してのブルックナーであるが、私はかつてのケンペとの名演とともに素晴らしい演奏の記録であると思った。少なくとも1978年の夏には、ベームはこれほどの集中力をもっていたのだ。
思えば細かな出入りがあまりないブルックナーは、よほどのことが無い限り、実演でアンサンブルに破綻を来すことはないと思われる。実際には繰り返しが多いので、集中力が途切れた時に魔の瞬間が訪れるのだが・・・(即ち「落ちてしまう・・・ 」あの瞬間が)

チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団を田舎の二流扱いしてはいけない。それは無知なだけである。ここで聞かれるアンサンブルと響きは最高の水準に達している。長くケンペが率いていたが1975年に急逝し、その後はアルブレヒト、エッシェンバッハ、若杉弘、フロールといった指揮者が率いたオケである。ヨーロッパでも一流の水準のオーケストラなのだ。
ベームはキビキビと音楽を進める。第一楽章から非常に大きな表情で歌い上げていく様は、まさしく楷書で描ききっている。リズムの正確さはベーム一流のものだ。きっと例の調子で口やかましくリズムが違うとか言っていびり倒したのかとも思うが、緊張した響きは完全にトーンハレ管弦楽団の勝利だ。
表情が少々硬く、厳しいのは致し方有るまい。しかしゼクエンツで大きく盛り上がっていく様は、スケール感があり満足させられる。特に金管楽器がよく鳴っている。ドイツ語圏らしい豪壮な鳴りで、気持ちが良い。
第2楽章の幻想的なスケルツォは冒頭少しだけテンポが走ってしまう。やや落ち着かない雰囲気で始まるが、やがてそのあたりは修正され、音楽の浮ついたところは、幻想的な色合いに変わっていく。ベームもよく統制している。指揮者が凡手ではおそらく崩壊してしまうところだろう。
第3楽章は私はどんな演奏でも感動できる。こんなに美しい音楽があったなんて・・・。この音楽に開眼してからはいつもこの楽章が待ち遠しくてならないのだが、ベームは大変感動的にこの作品を指揮している。オケのアンサンブルの良さも手伝って、きっと天国ではこんな音楽が流れているに違いないと思わせられる。私にとって最高の演奏は2001年にギュンター・ヴァントがベルリン・フィルに客演して録音したものだが、あの世界には今一歩と思うが・・・。
ところで、朝比奈隆やギュンター・ヴァントの演奏がつまらないという言葉をいくつか読んだことがあるが、好き嫌いは仕方ないし、批判も自由であるが、私は絶対に同意できない。彼らの一貫した音楽に対する誠実な態度は、尊敬に値すると思うからだ。

ちなみにギュンター・ヴァントについて一言。昔、ベルンハルト・パウムガルトナーの指揮するモーツァルトの「プラハ」交響曲の演奏に魅せられて、集めていたことがあった。その時集めたレコードのB面(懐かしい言葉ですね)にヴァントの指揮するハフナーが入っていた。当時、私はヴァントについて全く知らず、どこの指揮者かと思い、気にもかけずパウムガルトナー目当てで買って帰り、家でプレーヤーにかけてびっくり。ハフナーの素晴らしいことと言ったら・・・。その時からの私はヴァントのファンなのだ。あの演奏はCDになったという話は聞いていない。が、私は今でもその演奏の1音1音を明確に憶えている。鮮烈な体験だった。

話を戻して、終楽章のベームは輝かしいが多少集中力が途切れているのか、やや粗い印象を冒頭から受けてしまう。私のベスト盤であるヴァントに比べるとやや落ちる。音楽が力強く始まるところで、テンポが揃わずやや前のめりになり、音楽が静まると平板になってしまう。しばらくすると焦点が合ってくるが、ライブ故の欠点なのだろうが、このあたりにこの盤の限界があるように思う。ホルンのアンサンブルなど若干危なっかしいところも・・・。やや集中力が切れかけているからこうなるのかも知れないが、焦点が合ってくると次第にクライマックスに向かって大きく歩を進めていく。
楷書風の演奏だけに、微妙なテンポの不安定さやアンサンブルの乱れがよくわかってしまう。ブルックナーのこわいところはこれなのだろう。
それでも私はこのベーム盤を***(注目)とする。推薦とするには名盤がひしめく上に、正規の盤ではないようだからだが・・・。

PALEXA/CD-0522
by Schweizer_Musik | 2005-02-27 12:08 | CD試聴記
デュリュフレ/ミサ「クム・ユビロ」他/ピケマル指揮シテ島管他 *****(特薦)

かつて、名オルガニストとしても名高い存在だったデュリュフレのミサ曲である。大分前にナクソスから出ていたが、いつ聞いていつも感動させられる名曲だ。なにしろ生涯に作品番号をつけた曲がたった14曲しか残さなかった極端な寡作家であった。師であったデュカスもそうだったが・・・。
彼はもともとルーアン教会合唱学校でソルフェージュ、オルガン、ピアノなどを学び、1919年にパリ音楽院に入学した。学校に在籍中の1919年か聖クロチルド教会のオルガン奏者の助手として活動を開始している。1931年に5部門で一等賞をとって卒業してからも、1929年までその職を続けているが、1929年に名オルガニストのルイ・ヴィエルヌの後任としてノートル・ダム大聖堂のオルガニストに就任。翌1930年から聖エティエンヌ・ドゥ・モン教会のオルガニストに就任してからは1975年までその職にあった。パリ音楽院で和声を長く教えていた。
その彼の傑作として知られるのは1947年に書かれた「レクイエム」であろうが、フォーレの作品に似たグレゴリオ聖歌を下敷きとしたそれは、「怒りの日」を含まないよく似た構成をとっていたため、フォーレの亜流のようにとらえられ、不幸にも過小評価され続けているのは、実に残念なことだ。
このミサ「クム・ユビロ」Op.11は、1966年に書かれた。冒頭からデュリュフレ独特の節回しで、聞く者を陶酔させる。カトリックの典礼のために書かれた20世紀の傑作中の傑作だ。
キリエの哀しみと祈りの深さ、グロリアのはれがましさ、抒情性、サンクトゥスの幻想性と救いへの暖かい感謝、ベネディクトゥスの優しいバリトンの歌声とオルガンによる祝福の歌、アニュス・デイの神の子羊に捧げる幻想性は永遠の平和への祈りにも聞こえてくる。
ディディエール・アンリのバリトンは、かつてミシェル・コルボ指揮のフォーレのレクイエムで名唱を聞かせたスイスの名バリトン、フッテンロッハーを思い出させる。ミシェル・ピケマル・ヴォーカル・アンサンブルの合唱もまた大変優れており、シテ島管弦楽団の演奏(パリのこのオーケストラについては、私はあまり知らないが)は全くすばらしい。
この曲をナクソスがたった1000円で聞くことが出来るのだ。その上、1929年に作曲された(なんとパリ音楽院の一年生の時!!)前奏曲、アダージョと「来たれ創り主なる聖霊」によるコラール変奏曲 Op.4という大作、更にその翌年に書かれたオルガン組曲 Op.5がエリック・ルブランのオルガン独奏で聞くことができる。パリ、サン=アントワーヌ・デ・カンズヴァン教会で録音された見事な演奏であるが、私は自作自演をこの作品は残念ながら聞いていないので、1976年スイス、ローザンヌ、聖フランソワ教会のグランド・オルガンにて録音されたジャン=フランソワ・バウヒャーのスケールの大きな演奏を愛聴している。エリック・ルブランの演奏は若干スケールが小さいが、よくまとまっていて大きな不満はない。
20世紀の巨匠デュリュフレをお聞きになるのであれば、まずレクイエムとこの作品をお薦めしたい。

NAXOS/8.553197
by Schweizer_Musik | 2005-02-27 10:07 | CD試聴記
マーラー/交響曲 第4番 ト長調「大いなる喜びへの賛歌」ハイティンク *****(特薦)
yurikamomeさんからコメントをいただいたので、コメントを書こうとyurikamomeの徒然日記に行くと、マーラーの第4番はハイティンクが良いと書いてあり、「そうそう」と賛成したくってコメントを書こうかと思ったのだが、書いているうちにまたしても長くなったので、エントリすることにした。

マーラーの交響曲第4番はハイティンクのクリスマス・コンサートのフィリップスのライブ録音を比較的愛聴している。この録音が最もロマンチックで、おそらくはメンゲルベルクの伝統を最も正統に受け継いでいる。
それにしてもユダヤ人であったマーラーと親交を結び、マーラーから最も信頼された指揮者であったメンゲルベルクが、ナチスに取り込まれ(本人はそんなつもりは全くなかったようだが)戦後ナチスの協力した(別に戦争に行ったわけでも、ユダヤ人を殺傷したわけでもないが・・・)ということだけで、音楽界を追放されてそのままスイスの山荘で引退したまま孤独の内に亡くなったことは、私は戦後処理に関わる不当なものであったと今も考えている。
この話を書き始めたら、またしてもどんどん長くなってしまうので、このあたりにしておくが・・・。それにしても第二次世界大戦を裁いた法廷は本当に公平であったとは、恥ずかしくて絶対に言えないだろう。
スコアを非常にきちんと音にして、響きが立派に鳴るのがテンシュテットだ。ルチア・ポップの歌も申し分ない。しかし、冒頭の鈴を伴い管楽器が八分音符のリズムを刻む、その上にヴァイオリンによってテーマが歌い始めるところでのルバート(スコアに指示がある)をハイティンクほど大胆にして音楽的にやった人はいない。私はあれでもうハイティンク一本槍である。上手い・・・実に。
正規のスタジオ録音も立派であったが、1982年のクリスマスに行った演奏会のライブは、マリア・エーヴィングの独唱による演奏で、多少時代を感じるノイズはあるものの、今はこの演奏が最高だと思っている。
ショルティの新盤でのキリ・テ・カナワは、私にはちょっと癖があって「天使の歌」には聞こえない。もっと現実的な美人の歌だ。テンシュテットのルチア・ポップは最高である。彼女ほどこの曲に合っていた歌手はいないのではないだろうか。オケが残念なことにすこし四角四面の演奏になってしまっている。もっと優しく伴奏してほしいように私は考えるのだが、どうだろう・・・?。
ブルーノ・ワルターのいくつかの録音からは、1955年のウィーン・フィルとの録音を選ぶ。もの凄く遅いテンポで始まるので、冒頭のルバートはあまり目立たないが、それでもとても音楽的で柔軟なリズムはマーラーの音楽を出来はニューヨーク・フィルとの1945年の録音が良いが、デジ・ハルバンの歌は、ヒルデ・ギューデンの歌の遠く及ばない。ブルーノ・ワルターの薫陶よろしきを得て、よくこなしているが・・・。
で、ハイティンクの1982年のコンサート・ライブはどうか。多少ヒス・ノイズが目立つとはいえ、マリア・エーヴィングの歌はヒルデ・ギューデン、ルチア・ポップに継ぐ出来であると考える。ハイティンクの声楽を知り抜いたサポート振りもまた見事だが、ここまでデリケートに表情を音楽的につけられると、それが人工的な感じを与えようとも一度はだまされてみたくなる、あの気持ちになってしまうのだ。
オケは正規録音のような解像度は望めないものの、非常に雄弁である。第一楽章の冒頭のルバートはともかく、その後の音楽の流れもまたスムーズというか、どこをとっても音楽的で自然なのだ。フレーズを形作るブレスが自然でとても素直だからだろう。第2楽章の悪魔的なヴァイオリンの飛翔はおそらくはクレバースの最晩年のものではないかと思うが、ちょっとクレバースらしからぬところもあり、よくわからない。しかし、上手いソロであることは間違いない。第3楽章の優美な表情もまた魅力的だ。
これは第6番と第8番を欠いたマーラーの交響曲選集としてフィリップスから正規に発売されているものなので、比較的手に入れやすいと思う。ぜひお聞きになることをお薦めする。

PHILIPS/464 321-2
by Schweizer_Musik | 2005-02-26 23:20 | CD試聴記
エマニュエル/ブルゴーニュの歌 (1926) ****(推薦)
フランス近代において、民族主義的な動きがどうだったのかという点は、あまりに軽んじられてきた問題だったと思う。カントルーブのオーベルニュの歌などは、そうした動きと言っても良かった。しかし、そうした固有の民族的な素材による音楽は洗練したオーケストレーションや和声、対位法の技術の中に消化され、彼らの音楽は民族的な特徴がよりインターナショナルな性格に消化されているのが印象的である。
さて、このエマニュエルの「ブルゴーニュの歌」はそうした民族的な素材に基づく1926年の合唱のための作品である。古くから伝わる民謡を元に合唱と二人の独唱のために書かれたこの作品は、カントルーブの有名な作品と異なりピアノ伴奏というモノクロームな背景の上に合唱と独唱によって構成されている。もちろん合唱だけの作品もあれば、独唱とピアノだけの作品もあり、独唱と合唱が丁々発止と掛け合う曲もあり、変化のある30曲となっている。第八曲「私は見た、狼を、きつねを、野ウサギを」などは見事な民謡の芸術化であると言えよう。続く「クラヴォヨンの少女たち」の男達と女たちの掛け合いがそのまま民俗的な市井の人々の伸びやかな感性の発露となっている点などは高く評価されよう。

ロジャー・トゥーレ指揮ブルゴーニュ地方合唱団の演奏は、土俗的であり洗練とはあまり縁がなさそうだ。独唱者の二人、フローレンス・カッツ(mezzo-sop)とジャン=ピエール・クェナウドン(ten)はお世辞にも上手いとは言えないが、何故だか土俗的な味わいを持っている。とは言え、ネタニア・ダヴラツのような土俗性と洗練がバランスしているようなものではなく、どちらかと言えば稚拙なところが印象的だ。第20曲「羊飼い達よ、さようなら」でのテノールのジャン=ピエール・クェナウドンは合唱団の一員ではないだろうか。ソロをピアノ伴奏で歌いきる技量ははっきり言ってない。こうしたところにプロの歌手をあてれば、もっと印象は違ったろう。

第十曲の「クリスマスの歌」など、あまり上手いとは言えないが心からクリスマスを祝う喜びに満ちている。
ピアノを弾くラウレ・リヴィエーレは大変優秀な伴奏ぶりを披露している。第16曲の「私が私の村を去った時」などでは音の硬さが出てしまい、響きに余裕がなくなってしまっているが、総じて軽妙な伴奏で、音楽の雰囲気作りに大きく貢献している。第19曲「少女たちの急場」などの勢いのある音楽は彼の軽妙な伴奏があってこそではないか。

愉しい、そのまま歌えそうなメロディーの数々がどんどん出てくる、この作品が我が国であまり取り上げられないのは、ただただフランス語という言葉の壁なのではないだろう。モードを使ったメロディーは美しく、合唱の編曲はそう目新しい技法が使われているわけでもないが、そのかわり平易でわかりやすい。もっと知られて良い傑作ではないだろうか?
演奏がそれほどでもなくとも、この音楽は十分に楽しめた。それは民衆の音楽そのものが持っている力のようなものなのかもしれない。そしてそれをエマニュエルは上手く引き出している。良い音楽だ。お薦めである。

MARCO POLO/8.223891
by Schweizer_Musik | 2005-02-26 22:26 | CD試聴記
寒っ・・・ちょうど一ヶ月。
今日も雪が舞う天気となる。こんな日は一日寝て過ごすに限るが、本当にそうしてしまった。
このブログが開設一ヶ月となった。一ヶ月で記事の総計が150を軽く越えてしまったのは、ひとえにダラダラ書いた私のせいだが、日記のつもりだったのが、音楽鑑賞記録になり、次第に音楽ニュースをとりあげるようになるという、たった一ヶ月の間にコンセプトがどんどん変わっていったのも、全く計画性のない私故となる。
気まぐれなところはあるものの、更に色々と日々気になったことなどを書き連ねてみようと思うので、これからもよろしくお願いします。
で、今日はこれから出かけますので、明日また・・・。
by Schweizer_Musik | 2005-02-26 18:12 | 日々の出来事
ブルックナーの思い出
眠くって、一日ダラダラしていた。おかげで何も書くこともなく、呆然とテレビを見て過ごしていたので、みなさんごめんなさい・・・。
さてさて、カラヤンのブルックナーの八番についてのエントリがあり、TBを戴いてつい書き始めたら止まらなくなってしまったので、自分のブログでエントリすることにした。
ブルックナーの第八番はウィーンのシュテファン寺院で聞いたことがある。録音もされていたので、ひょっとしたらCDがでているのかも知れないが、演奏家のことやオケのことはすっかり忘れてしまった。
今から10年ほど前のことだ。
それまでブルックナーは全く自分の理解を超えた存在だった。フェスティバル・ホールで朝比奈隆の指揮する大阪フィルのコンサートで聞いて、熟睡したことがあるが、あれは高校生の頃だった。あの名指揮者のコンサートで唯一寝てしまったコンサートだ。全くわからなかった。今にして思えば、何と自分は馬鹿だったのかと思うが、それがトラウマとなってしまい、色々なブルックナー・ファンの人に講釈を聞くほどに敬遠していった。
何がブルックナーをつまらないと思わせるかと言うと、あの無限とも思われるゼクエンツだ。同じリズム、音程が延々と繰り返されることに、私は音楽的な意味をほとんど理解していなかったのだ。
また、途中でドカッと入るゲネラル・パウゼ・・・。気を失いそうになるのは当然だと思っていた。
で、話をシュテファン寺院に戻す。
あそこで聞いた時、ふとブルックナーは教会のオルガニストであったことを思い出した。いや、色んな本を読んでそのことは知っていた。しかし、彼がオルガニストでその教会でのサウンドを想定して作曲していたことを痛感したのだ。
第8の冒頭。ハ短調という主調から大きく隔たった調性から次第にゼクエンツをもって転調を繰り返し、テーマが提示されていく。その過程は恐ろしく息の長いものなのだが、それはオルガン音楽そのものということを思った。
第3楽章でハープが入り天国の響きのような転調が弦のアンサンブルに出てくる。もちろんブルックナーだから何度も出てくる。その美しさ!それは深い残響を伴い、天上に昇っていく魂のようなイメージを持つ。
終楽章のテーマはオルガン以外では出てこない音楽であろう。ロマン派オルガン音楽と言われても、信じてしまいそうだ。

ブルックナーのような作曲家は他にも数多くいる。フォーレもそうだしフランクもそうだ。フランクの交響曲もブルックナーのようなオルガン作品の肌触りを持っていて、実際にオルガンの編曲されてCDにもなっている。
ブルックナーの交響曲もオルガンで演奏するチャレンジは数多く存在している。しかし、これらのオーケストラ作品をオルガンで演奏したいくつかを聞いてもさっぱりである。やはり、オルガンで発想していても、オルガンを想定して作っていないから、モノクロームなサウンドにされてしまうと、とても持たないようだ。

今は、ブルックナーの音楽を心から愛せるようになったが、シュテファン寺院での体験は(そう立派な演奏ではなかったものの)私には得難い体験であった。
by Schweizer_Musik | 2005-02-26 18:02 | 原稿書きの合間に
寒い上に花粉が・・・
c0042908_23391378.jpg今朝、寒いと思っていたら、雪が積もっていた。家の前を通りかかった車の屋根に積もった雪を見て、どこの山奥から出てきたのかと思って、ふと振り返ると、駐車場にある車の上には思いっきり雪が積もっていた。
本当に寒かった。曇っていて気温が低く、更に風があるなんて三重苦である。その上目が痒く、鼻がムズムズして困った。花粉である。一月から少しずつ感じていたが二月に入ってもあまり本格的に花粉の存在を感じなかったので、「今年は花粉が凄い」という情報もガセネタかと思っていたが、今日は久しぶりに花粉症の症状が出る。
それでも一日、学校で籠もっていたに等しいので、それほどでも無かったが、帰りは酷かった・・・。

今日はとんでもなく忙しい一日だった。朝からN君が手伝ってくれたので大分助かったが、あれをいつも一人でやっていたと思うとぞっとする。
一年間やってきたアレンジの授業の音だしだったのだ。娘の通う東京芸大の弦楽器の学生が音だしに協力してくれて、快調に録音ができた。さすがだ!と思った。ヴァイオリンの女学生は広島の尾道出身で、広島交響楽団のコンサートマスターの小島秀夫氏に師事したと聞く。かつてY社に奉職していた時にお世話になったヴァイオリニストだ。懐かしい名前を聞いて、ちょっとうれしかった。
c0042908_23395920.jpg音だしは一日。管楽器やピアノ、エレクトーンを専攻する学生たちが作曲したり編曲した作品を、どんどん録音していった。中にはとても美しい作品もあり、それらが素晴らしい弦楽器奏者たちによって、音になり、命が吹き込まれていく様は、どんな人間にとっても嬉しいもので、指導をして来た私も、充実した時間であった。
やっぱり音楽している時が一番だ。後かたづけも手伝ってくれたSさんやN君、ありがとう!!
で、その後は報告のための録音をCDにして科長に提出。その後単位不足の学生の指導ということで、親に連絡したり、まさに気の重い仕事をして九時まで学校でバタバタと働く。これもほとんど無給だ。担任ならば仕方ないのだが・・・。まぁ、自分の仕事が愚図なだけなので文句は言えぬ。やれやれ・・・。
帰りは、寒い寒い空の下、鼻をグズグズ言わせて満員電車に揺られていた。ああ疲れた・・・。もう寝るぞ!
by Schweizer_Musik | 2005-02-25 23:40 | 日々の出来事
新発見・・・ショスタコーヴィチの弦楽四重奏
朝、ネットを巡回していて、またしても新発見というニュースがあったことを知った。
日本では流れなかったのだろうか?Novostiで見つけたのだが、ロシアのボロディン四重奏団が初演したとのこと。創立時のメンバーであるチェロ奏者が80才を迎えているが、他のメンバーはすでに交代している。第1ヴァイオリンはソ連時代に亡命しているが、他は世代交代だった。それにしてもチェロ奏者がそのままだったとは知らなかった。
ブログでも触れている方がおられた・・・拍手は指揮者が手を下ろしてからというブログでその書き込みがあったので、ぜひどうぞ・・・。
最も長く続く弦楽四重奏団としてギネスブックにも登録されているとここで書かれているが、私は大して関心がないので、ギネスブックを見て確認していない。

記事の冒頭には「モスクワ、1 月19 日、(RIA Novosti) - ロシアで最も古い室内アンサンブル- ボロディン四重奏団の創立60周年、ボロディンの名をつけて50周年、および創立以来の不動のチェロプレーヤーValentin Berlinsky の80才の記念として。モスクワ音楽院のホールで世界初演のコンサートを行った- ショスタコーヴィチの新発見のセンセーショナルな作品、弦楽四重奏曲である。」とある。
で、実体はと言うと、「スコアの22 ページの完成されたスコア(第一楽章?)と作曲を中断した不完全なスケッチの状態で残された8ページ」ということであるが、何故これが中断されたかはNovostiは触れていない。
しかし、最近になって、作曲者が発表をしなかった作品を「新発見」として出したがるロシアって一体何なのだろう。研究者にとっては重要な資料に違いない。すでにショスタコーヴィチは研究の対象である。しかし、一般的な意味でショスタコーヴィチの作品としてこれを位置づけるのは困難だと思う。
私は死ぬ前に、ノートを全部消却しなくては・・・あっ、そんな心配はなかった。(笑)
by Schweizer_Musik | 2005-02-25 06:50 | 音楽時事
望月 京さん尾高賞を受賞!
私がかつて奉職していたヤマハのJOCの出身者である望月 京さん尾高賞を受賞した。女性では二人目だという。
私はヤマハに入って、20年の間、心からこのJOCを愛し、その指導に10年あまり携わったこともあり、彼女のJOC時代を知る者として、心からお祝いを申し上げたい。
望月さんが世界に羽ばたき、素晴らしい仕事をしていることは以前から聞いていたし、色んなところで知っていたが、これほどの栄誉を若くして戴くに至ったことは素晴らしいことだと思う。
彼女の才能と今後の活躍を心から祈りたい。

望月 京(もちづきみさと) ——1969年東京生まれ。東京芸術大学音楽学部付属音楽高校、同大学を経て、1995年同大学院作曲専攻修了後、渡仏。1995年パリ国立高等音楽院作曲科、1998年同科第3課程(博士課程)を修了。1995〜97年IRCAM(フランス国立音響/音楽の研究と調整研究所)研究員。

1995年第64回日本音楽コンクール作曲部門第1位及び安田賞、1998年シュティペンディエン賞(ダルムシュタット)、1999年ユネスコ国際作曲家会議優秀作品賞(パリ)、2000年第10回芥川作曲賞、2002年アルス・ムジカ音楽祭Prix du public(聴衆賞、ブリュッセル)を受賞。
by Schweizer_Musik | 2005-02-24 21:59 | 音楽時事