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水曜日が終わった…
水曜日はやはり大変で、疲れ果てて帰ってそのままとなってしまった。
まずドビュッシーの前奏曲から第2曲「ヴェール」と、第6曲「雪の上の足跡」、そして第10曲「沈める寺」の3曲を分析。とは言え、ヴェールは簡単な紹介に終わる。しかしこの曲。大半がたった6個の音で出来ているとは!まさに奇跡!
ヴェールのように作ることは、極めて困難。従って私たちが6音からなるヘキサトニックである全音音階を使用する時は、他のスケールと組み合わせて作ることが極めて多いということも話し、簡単な作例を前回の「映像」の分析のことを思い出させたり、恥ずかしながらの私の作品を聞かせたりした。

続くオーケストレーションの授業では、サックス四重奏の音だし。たった2週間(実際には3週間はあったはず!!)にしては100小節あまりの力作を披露した学生がいたのは嬉しい限り!
Hさんの作品は合成音階のハンガリア短を使用したもので、大変特徴的で効果的だった。音のぶつかりなど、かなり荒削りの部分はあるが、まぁ良い方だと思う。
だだ音だしで一人、曲が出来なかったこともあって、時間が余ったので、私の作品を音だしした。「トッカータ〜チューリッヒのトラム」である。結構難しいはずだが、初見で私の意図したテンポで演奏する。我が校のサックスは大したものだ。全員ディプロマ・コースの学生たちで、以前から何度かやってもらっている学生たちが音だしに協力してくれた。再来週もまた音だしである。さて来週は何をするか?もう弦楽の作曲に入るのだ。で、夏休みに入るが、休み明けに弦の音だしが待っている。
この授業。結構ハードでしょ?
例によって12時半から14時半まで休憩。ネット・オークションで購入したCDの支払いなどをこの休憩時間に行う。
そして再び現代音楽の授業。
こちらは本科生なので、まだ曲を聞いてどのモードで出来ているかさっぱりわからない者も混じっているので、分析もそうしたところを重点的に行う。
次いで、作曲専攻生以外の学生たちのアレンジの授業が二限。元々の人数が少ないので休みが3人出てずいぶん寂しい感じとなった。しかし今日はテーマを作り、それをもとに下書きの下書きみたいなところまで持って行く。
作曲は初めてという学生゛かほとんどなのだが、作曲の一年生よりもよく書けるのには参る。ハーモニーがわからない学生のためにモードで作らせていたのだが、普通の音階で結構ちゃんとした作品を全く和音の知識がないのに書く学生がいたりしてビックリする。それも、ちゃんとこうしたいという意志を持っていて、その学生(ホルンが専攻)に対する指導の考え方を1ランクあげることにした。(私の場合、超初心者の場合は頭ごなしに訂正をしてみせることが多いのだが、よく出来る、あるいはちゃんと自分の音への趣味、こだわりを持っていると思うとランクが上がり、少々のことでは訂正しなくなるのだ)
やりたいところまでは何とかできた。見て回っているだけなのに、ちょっと疲れてきた。このあたりが胸突き八丁である。
最後は一年生の作曲の実技のレッスンである。練習形式の習作をやって来いと言ったのに、かなりデタラメな曲を書いてきたのですぐさまやり直しを命じ、その場で作らせる。じっと待つこと30分。なんだ出来るじゃないか!!
彼女に私の心のエネルギーを完全に吸い取られて一日が終わる。くたくたである。
by Schweizer_Musik | 2006-07-06 06:40 | 授業のための覚え書き
思い出話一つ・・・ああ、転職
この季節になると、新入社員だった頃を思い出す。私は六月採用だったため、この頃が研修期間だった。25年以上も経つのにふと思い出すそれは、今も生き生きとしたものだ。
現在の仕事に転職というか就いてもう6年経ち7年目となった。退職したと同時に、現在の仕事にありついた私は大変運が良かったと言うべきかも知れない。
それも6年経った。たった6年だが、本当に色々あった。しかし、自分は日々若くなっているような気分になっている。若い学生たちと生きていることがそうさせてくれているのだろうか?体は正直で、年相応の衰えは感じているが、気持ちの面で日々新しくなっていく。20年勤めた前職では日々何かを失っていく気分で、最後の二年はその気持ちが強烈だった。精神的に参ってしまったのだ。
もの凄い量の仕事をしても、自分が信じる方向に一生懸命がんばっても、仕事は音楽からどんどん離れ、運営職に近づくばかりだった。結局ヤマハは音楽はいらないらしいとわかった。これがわかるまで時間がかかりすぎた。何しろ20年もかかってしまったのだから。
いや、これは正確ではない。かつては音楽が要求されていた。少なくともワンマンと言われた川上理事長がその職に在った頃は、私はジュニア・オリジナル・コンサートの担当で音楽を要求されていた。
そうした仕事の中で、山口恭子や藤原典子といった若い作曲家が育つ時間を共にすることができた。ありがたいことだと思っている。しかし、川上理事長が亡くなり、ヤマハは変わってしまった。
多くのことが変わったが、特に私がライフワークと思っていたジュニア・オリジナル・コンサートを大きく方向転換したことが大きかった。
現場ではどう感じているのかはわからないが、目指すべきコンサートが無くなってオリジナルを指導しなくてよくなった講師は喜んでいることであろうし、それに力を注いでいた講師はバカバカしく思うようになってしまったことだろう。
確かにオリジナル指導は講師個々の資質に頼っていたヤマハであるから、止めたらそうした人たちは自然と離れていくことだろう。
私が在職した頃は、生徒募集で苦しんでいたが、オリジナルなど難しいことを止めて、楽しい小さな子供のための教室に力を入れることで生徒は増えたそうだ。質より量なのだろう。もうからなくては良い仕事はできないということなのかも知れない。

私が辞めた年の年末、なんと財団法人ヤマハ音楽振興会は脱税で摘発されてしまう。そして川上理事長時代から長く深い関係を保ってきたユニセフから縁を切られてしまう。あのニュースほど悲しい話は無かった。
財団だから脱税してまで資産を残す必要など、どこにも無かったのにである。悲しかったと同時に、ヤマハ音楽教室がすでに私が入れ込んでいたものとは異なるものになっていたと、すでに辞めていた私は納得した。
時代が変わったのだ。そして6年。転職して、かつてのように消耗だけすることは無くなった。音楽を毎日食べているからだ。学生にオーケストレーションや現代音楽について教えながら、その教材を作り、指導プランを考える。そして音楽を作り、演奏する。その中に自分を置くことで、長い間失われていたものをようやく取り戻した気持ちである。

毎日、音楽教室のゴタゴタしたことをやっていた時代、休みはなく、ただ多忙な日々だった。親しい人たちは何度私から辞めたいを聞かされたことだろう…(笑)。その頃から、静かな暮らしを夢見ていた。
それが音楽と共にあるのは幸せだ。転職とともに失ったものもあるが、得たものがはるかに大きいと思う。五分五分ならば転職は成功と言うから、私は幸せな部類に入るのだろう。
ユーミンの歌ではないが、変わっていくヤマハを叱ろうなどと大それたことは思わない。人も企業も変わっていくのだ。
いずれにせよ、離れてみてようやく心安らかにヤマハを見られるようになった。あそこに帰ることは絶対にない。帰りたいとも思わない。しかし、あの新入社員の時代の何もかも吸収するだけの一生懸命の時代は、とても懐かしく思う。朝夕の涼しい風に吹かれると、ふと、あの時代を思い出す。

中田がサッカーから引退するそうだ。私とはあまりに違う鮮やかな転身。サッカー・ファンでない私も尊敬できるサッカー人だった。
by Schweizer_Musik | 2006-07-04 06:51 | 日々の出来事
細川俊夫の「観想の種子」−マンダラ− 声明と雅楽のための
細川俊夫の「観想の種子」という曲を聞く。以前から聞かなくてはと思いながら、そのままになっていたCDだ。声明と雅楽のための音楽は、いつもの細川節というか、神秘的でそれがただのムードに終わらない時の流れの中で沈潜していく強さを内包している。
何が強さを構成しているのか?それは、私たちの土地、あるいは血につながる音の記憶ではないかと思う。伝統的な楽器を使っているからなどという浅はかな音ではない、明らかに私たちが息をしている世界にある音がここで響き、うねり、時を司る。
曲は七つの部分からなる。第1章は導入として笙を中心に雅楽アンサンブルによる音楽で、第2章「生成」で声明が加わる。密教の仕儀である声明が細川俊夫の卓越した創造の世界の中で新しい命を厳かに歌い上げる。
第3章は「放射」で、夏とも書かれている。篳篥を中心としたアンサンブルに横笛が絡む。カノンで出来ているが、厳かでありながら動的な面も表現していて、エネルギーの放射がイメージできる。
第4章は「冥想」と大連れ、秋という文字が曲名に付けられている。再び天台声明が歌われ、第5章「沈思」に続く。
第6と第7章は曲の終結部と考えればよいだろう。
明らかにシアター・ピースとしての側面がある作品なので、CDを聞いて判断することは危険だと思うが、それでもこれをCDにした制作者の意図がよく伝わる、素晴らしいCDである。声明の言葉は私のような無教養な者にはほとんどわからず、少々解釈については心許なく思う次第で、識者の歴史的・文化的な解説があれば助かるのだが…。

観想の種子 細川俊夫作品集 音宇宙3 fontec FOCD9117
by Schweizer_Musik | 2006-07-02 23:11 | CD試聴記
今日はテレビも忙しい!
今日は見たい番組目白押し!
まず、朝はら日曜美術館でジャコメッティを特集していたので、目を皿のようにしてというのは大げさだが、見終わったところ。懐かしいスタンパの映像などが流れたが、そうしたことよりも彼の創造についての考察が踏み込んでいて、なかなかに面白かった。こうしたところがNHKの良さだ。時々馬鹿なことをやるが、流石という部分が多いので許すことにしよう。
で、今朝未明に放映されたオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団のラフマニノフの交響曲第2番の映像を見ている。映像の劣化も少なく、音も十分満足できる。これは良い。発売されているのだろうか?これは永久保存のDVD化をしておかないといけない。
不必要な動きが全くない、なんて良い指揮なのだろう!それでいて音楽は雄弁だ。ラフマニノフがストコフスキーとともに厚い信頼をおいたのも当然だ。プレヴィンなどの全曲版と違い、どうもいくつかの省略がある方のようだはある。これは残念なことだが仕方ない。
CDの演奏とどちらが?難しい質問だ。旧CBS盤よりも豊かに聞こえるが、音楽の質的な問題ではなくただ、こちらの思いこみの問題だろう。テンポはかなり速めで、旧録音により近い印象である。
クラシカ・ジャパンも再放送が多く、つまらないので解約しようかというとこういうのをやるので困る(笑)。
お昼からは「展覧会の絵」のラヴェル編曲版とホルストの「惑星」だ。先日マズア指揮のゴルチャコフ編曲版が放映されたので、「展覧会の絵」はラヴェルとゴルチャコフの二つの版が映像でそろった。
ホルストの「惑星」はLDで持っているものだが、残念なことだがLDプレーヤーが壊れたままなので、見ることが出来ない。したがって久しぶりに見ることになりそうだ。
夕べ、1965年制作のカラヤン指揮の「カルメン」(映画版だが)の放映もあり、見なくてはならないものがたまってきた。忙しい時期に重なるなぁ・・・。
by Schweizer_Musik | 2006-07-02 10:15 | 日々の出来事
祝!復活!小澤征爾
小澤征爾氏が復帰して、スイスで行われた国際音楽アカデミーで若い音楽家たちを指導したそうだ。良かった!!
プロネーで行われたアカデミーだそうで、有名な保存鉄道のあるところであり、レマン湖の美しい風景に囲まれて音楽できるなんて、それも小澤征爾のもとで・・・素晴らしいことではないだろうか。

一日、HDに取り込んだ音楽ソフトの整理をしていた。来週の授業で使うものをどうするかと色々準備しなくてはならないからだ。で、先日yurikamomeさんに頂いた小澤征爾の新日フィルの「復活」のLPの演奏を聞いていた。この集中力!この熱気。小澤征爾らしい。その昔、大阪フェスで聞いたサンフランシスコ交響楽団のことを思い出していた。
確か、梶本音楽事務所が初めて招聘した海外オケ公演なのだと聞かされたことを、かすかに憶えているが、真偽のほどはわからない。あの時聞いたアイブスの「宵闇のセントラルパーク」が私のオーケストラ体験の白眉の一つだった。
あの精緻な世界とこの「復活」はまるで違う。でもあのころ、夢中になった小澤征爾、憧れだった小澤征爾には、ぜひこれからも末永く活躍してもらいたいものだ。
by Schweizer_Musik | 2006-07-01 22:02 | 音楽時事