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ブリティッシュ・ライト・ミュージックはいかが?
長かった夏休みも終わり、明日から授業に追いまくられる生活が再び始まる。嬉しいような、ちょっと名残惜しいような…。
こんな日はブリティッシュ・ライト・ミュージックが合いそうだ。ちょっとノスタルジックで、ほどよく面白く、ほどよくマンネリで、時々ホロリとさせるエンターテイメントなのだが、意外と日本人には人気がない、というかあまり紹介されたことがないために聞いたことがないのだろう。わずかに紹介されたのがケテルビーなどだけでは話しにならない。
無調とかはとても親しみが持てないけれど、ロマン派後期位までの音楽で、あまり大げさなものでないのが好きという人ならば、はまること請け合い!である。
試しに、WOOD. Haydn 1882-1959 (英)の「独白 "Soliloquy"」(1948作)を聞いてみると良い。中々に良い曲で何故あまりやらないのだろうと思うに違いない。
この作曲家が、大変な技術を持っていることは確かだし、伸びやかなメロディーを難なく書けることもわかる。オーケストレーションについてもそれなりの技術を持っていることもこの曲を少し聞けばわかる。1948年には流行らなくなってしまったスタイルであるというだけなのだ。
変奏曲や名作「ピカデリーのバラ」など、残暑の内に楚々と近づいているに違いない秋を思いつつ、今夜は聞いてみたいところだ…。
by Schweizer_Musik | 2007-08-27 23:54 | ナクソスのHPで聞いた録音
Google Earthに夢中
仕事もせずにGoogle Earthに夢中になっている…。凄い社会になってしまったものである。今まで行ったことのある場所を衛生からの画像で3Dで建物の形状程度まではほぼ見ることができるというのは、もう感激で…。
現在の姿ではないのだろうけれど、これに住所の検索が細かくできるようになったら、地図ソフトが全く無用の長物となることは間違いない…。
真上からの画像だけでなく、角度を変えることも出来、風景がほぼ再現できる。懐かしの我が家からの風景がほぼ正確に、送電線に至るまで再現されることに驚いてしまった。
また、大好きなスイスの各地を空から散歩してきた。チューリッヒの津田さんのお宅も確認できた。お庭にあった木も見ることが出来た。凄い…。
すみません、夢中になっています。
by Schweizer_Musik | 2007-08-24 09:22 | 日々の出来事
ニュース・ステーションのスイスのエコ事情の取材について
ニュース・ステーションのスイスのエコ対策についての話は、いつものことだけれど、ちょっと誇大な言い回しで辟易としてしまった。ツェルマットの自動車規制の話やレッチュベルクのカーフェリーなど、エコ対策としてこうしていると表現している。
確かにそうだ。ただ、温暖化対策として紹介するのはちょっと変。スイスはガソリンなどより豊富な電気を使った方が良いという事情もある。ツェルマットが自動車の乗り入れを拒むのは、自動車を通すような道路整備と駐車場を作ることが出来ないという事情が背景にある。
また、ツェルマットは谷の最奥の村であり、その先は4000メートルの山々に囲まれていて、通り抜けることができないという事情もある。そうしたことをご存知なかったようだ。
レッチュベルクのカーフェリーについても、それほど珍しがる話ではないと思うが…。

取材すべきものがもっとあったはず。例えば農業保護の話。あの風景を維持するために、国がどれだけお金を使っているか。あの山国に極めて細かな鉄道網が何故維持されているのか。赤字ではないのか…等。
特に、農業政策について、あの先進国がどういうバランスの上に農業を考えているのか、学ぶべきことはもっとあるように思う。経済の原理だけで格差を拡大して都市部に全てを集中させて恥じない、どこかの国とは違う政策がかの国では何故出来ているのか?自治というものに対しての意識が、我々日本とは全く異なるということにもよるのだが…。ここまで紹介しようということになれば、1時間番組となるだろうから、まぁ無理だっただろうけれど。
それでも…。
自然を維持するためにどうしているのか。河川の改修は日本のようなコンクリートで護岸工事して真っ直ぐにしてしまうというものでなく、自然の形に近いものであるとか、水の浄化のシステムとか、紹介してほしかったものだ。
ツェルマットやローヌ氷河の後退の話ではあまりに表面的でしかなく、こうしたことでエコロジーを標榜する程度では…。もっときちんと取材してから紹介してほしいものである。こんなことではニュース・ステーションの内容の乏しさを痛感してしまった。

エラソーなことを書いてしまった…。ごめんなさい。
by Schweizer_Musik | 2007-08-21 22:42 | 日々の出来事
カイルベルトの指揮したドヴォルザークの「ルサルカ」
カイルベルトの指揮したドヴォルザークの歌劇「ルサルカ」を聞く。1948年の録音ということで、CDを買うのをためらっていたもので、ナクソスにこの録音が置かれているのはありがたいことだった。
ドイツ語歌唱ということで、私の持っているノイマン指揮のものとずいぶん異なる印象を受けた。言葉の問題というのは意外なほど大きいようだ。
さてそんなことはともかく、最も驚いたのは1948年のライブ録音にしては多少のステレオ感がある素晴らしい録音である。最新録音というのは言い過ぎだろうけれど、このクオリティは驚異的だ。
1948年の東側のドイツでの録音…。半年前にベルリン封鎖という東西冷戦の宣戦布告が行われたばかりだった。陸の孤島となるベルリン、東側の攻勢に対して大々的な西側の空輸作戦でソ連の兵糧作戦に対抗していたその時代のドレスデンの録音が、これほどのクオリティであったとは象徴的だと思った。東側に組み込まれたチェコを代表する歌劇の公演である点も象徴的に思う。
音楽と政治が無関係であるとは言えないだろう。ただ、政治的にどうであるかによって音楽の優劣が決まるのではない。

カイルベルトの指揮する音楽の素晴らしさはそうした暗い時代背景なんてどうでもよく思わせるものだ。タイトル・ロールを歌うエルフリーデ・トロチェルの歌は、多少音程が甘く、ずりあげる癖がかなり私の好みから逸脱する。清純な印象はあるのだが、少し考えて欲しいものだ。素晴らしいのは水の精のゴットロープ・フリックだ。彼が主役?なのかと思うほど存在感のある歌で、この録音の価値を著しく高めている。
後、王子役のヘルムート・シンドラーをはじめまずまずの出来であるが、飛び抜けて素晴らしいとまでは言い難い。この録音の最大の価値はカイルベルトとドレスデン・シュターツカペレであろう。
昨日、ビシュコフの指揮したシュトラウスの「エレクトラ」を聞いて、心から堪能したこともあり、今日はドヴォルザークとなったのだが、それなりに楽しんだ。
ドイツ語版になっているだけでなく、あちこちに省略があるようで、これも私の好みとは言い難い。が、通常の公演ではこうしたことは常識だったはずで、別に今更論う気きない。
興味をお持ちなら一度ご賞味あれ。
by Schweizer_Musik | 2007-08-20 09:26 | ナクソスのHPで聞いた録音
カラヤンとナチについてちょっとだけ考えたこと
テレビでは終戦の日をはさんで、色々と戦争を主題に色々な番組をやっている。特にスカパー!のドキュメンタリーなどのチャンネルではそれが著しい。
考えなくてはならないし、忘れてはならないことだと思う。更に現在進行形でイラクなどのことについても考えていたいと思う。

さて、広島に原爆が落とされた日に、産経新聞にあったカラヤンとナチスのことについての記事を読んで、またまた考えてしまった。ナチスと関係があったことを戦後問題となった音楽家は数多い。カール・ベームやクレメンス・クラウス、ヴァルター・ギーゼキング、ウィレム・メンゲルベルク、アルフレッド・コルトー、ヴィルヘルム・バックハウス等々、大変多い。
権力を持つナチスに対して、おおっぴらに反対したりしなかった、あるいは協力したからと言って、その後追放したり、烙印を押してそれらの個人に対する反対運動を煽ったりすることは、私は大変違和感がある。
権力者が犯した過ちを、犯罪を、それと知らなかったただの取り巻きにまでその責任を問うというのは「正義」という剣の振り回しすぎに思われるからだ。
ナチはホロコーストをはじめ数多くの人道に対する罪を犯したことは間違いない。だからそれに反対しなかったからといってそこにいただけの人々も罪に問うのであれば、スターリンに追随した人々や、スペインのフランコ政権に追随した人々も同じように社会から追放するなどの制裁をしなくては公平ではないと思うからだ。
最近、プーチンがソ連は「ナチスのような虐殺もしていないし、アメリカのように無差別に民間人相手に原爆を落としたりしていないから、それほど酷くはなかった」とうそぶいているそうだ。アメリカは反論でないだろう。けれど、こういうのを五十歩百歩というのだけれど…。
戦争だから、そして我が国は、ドイツは負けたから一方的に叩かれたということなのだろう。ただ、私はどこかの辞めた大臣のように「しかたがない」と言ってすます気にはなれないでいる。

チスの蛮行はどうしても許せないが、その蛮行と直接関係のないところで、音楽を演奏したということが非難されるとしたら、当時ドイツに住んでいたことだけでも人道に対する罪であると言っているようなものではないか?
当時、ドイツにいた音楽家たちに対して、ナチとの関係を戦後も問い続け、その演奏するベートーヴェンやブラームスにナチの影を感じるとなれば、一体…。
イスラエルでは今でもワーグナーはタブーだと聞いたけれど、実際はどうなのだろう。確かにホロコーストで災難に遭われた人達が、そのことを思い出させるものとしてワーグナーがあるので辞めて欲しいと言われることについてはよくわかる。その思いを傷つけてまでワーグナーをユダヤ人の国で演奏する必要はないと思う。
しかし、正確を期すために言わせていただければ、ワーグナーがナチであったことはない。アメリカに亡命したというワーグナーの娘たちは反ナチであった。ただワーグナーの音楽をヒットラーが好み(大好きだったのはレハールなどであったそうだが)その音楽を利用したからであろう。ワーグナーの音楽はナチのプロパガンダ放送のテーマ音楽として、ヨーロッパでは有名だった。更にバイロイト音楽祭はナチスの保護のもとで戦争中も隆盛を極めていた。
しかし、だからワーグナーはナチスと何の関係もない。ヒットラーが生まれる前にワーグナーは亡くなっているのだ。
カラヤンの演奏にナチの響きを感じるというのは…。確かにカラヤンはナチの党員だった。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがナチだと言って非難する者もいるが、彼がナチであったことは一度もなかった。戦争中にドイツに留まったことが、ナチスであるという非難に繋がっているようで、ナチスのプロパガンダに利用されていたことも事実だろう。
だが、彼はユダヤ人の収容所の番人でもなかったし、殺したわけでもない。どうして亡命しなかったのかと非難しつづけた人々が、亡命しない=ナチスであるという極めて単純な思いこみにあるように思う。
彼よりずっと若く、これから成功への階段を駆け上がろうとしていたカラヤンが、その成功のためにナチの党員証を持つに至ったとしても、私には理解できるこどもある。ナチを肯定していのではないので、誤解のないようにしてほしい!!

音楽は抽象的な言葉である限り、権力に利用されるものであるのだろう。そして、カラヤンにナチを感じるという人に「それは間違いだ」とまで敢えて言う気はないけれど、「音がそんな政治的メッセージやイデオロギーを持つなんてちょっと考えられないけどねぇ」とつぶやくこととしよう。
山田耕筰の「かちどきと平和」を聞いて、戦意高揚の音楽だと非難するような愚かなことだけはしたくないものだ。ちなみに「かちどきと平和」は1912年の作品で、第一次世界大戦前の作曲である。富国強兵の時代から大正デモクラシーへと移る時代の音楽。だから「平和」であったのだと私は思う。
by Schweizer_Musik | 2007-08-19 22:55 | 音楽時事
アイブラーの交響曲を2曲聞く。なかなか良い
アイブラーという古典派からロマン派の時代にかけてウィーンで活躍したという作曲家の交響曲を聞く。
ホフシュテッター指揮ジュネーヴ室内管弦楽団の演奏。スイス好きの私ゆえ、この団体と指揮者による他の演奏もいくつか所持しているけれど、コルボがこのオケを指揮して録音したモーツァルトのレクイエムがかなり衝撃的で印象に残っている。
ホフシュテッター(何だか伝ハイドンのセレナーデの作者の名前と一緒でちょっと変な気分…)の指揮は極めて真っ当な指揮で、オケも軽快に演奏しており、風通しの良い気持ちの良い録音で良いと思う。
しかし、モーツァルトの友人であったというこの作曲家の作品。まずまずの出来の作品であると言っておこう。主題が平凡で展開もありきたりのものばかりで、どこと言って魅力があるわけではないが、第1番の終楽章など対位法的な展開に魅力を感じるし、くどくないのが良い。
さっきまで、ベートーヴェンのオーボエ三重奏曲にヴラニツキーのオーボエ三重奏曲を聞き、ベートーヴェンに比べてヴラニツキーのあまりに平凡でくどい音楽に辟易としていたので、このすっきりとした展開の技術には好感を持った。
出来としては第2番のニ短調の交響曲の方が幾分優れている印象を持った。主題の展開が手が込んでいてなかなかに面白く、二つのメヌエット楽章を持つ5楽章制の交響曲というのも、バロックの頃の組曲などの伝統をまだ身近なものとしていた名残が出ているようで興味深く思った。
しかし、モーツァルトと同時代の作品を特集したCDがいくつも出ているしイギリスのシャンドスから出ているウェスリーの交響曲集などのようにとても魅力的なものも多く、このアイブラーの作品もそうした作品であると評して良いと思うが、モーツァルトの作品のような抗しがたい魅力はあまり感じないのは共通している。
いかにモーツァルトが飛び抜けた天才であったかを、こうして同時代の作品を聞き、今更ながらに思い知らされた次第である。
by Schweizer_Musik | 2007-08-18 21:29 | ナクソスのHPで聞いた録音
PSE法が見直される?
音楽関係と言っても、私のようにクラシック系の作曲を教えている者は少数で、大多数はポップス系の先生ということもあり、一年あまり前のPSE法の施行の前に起こった様々な混乱は、先生同士の会話でも挨拶代わりに出て来るほどだった。何と言っても電気製の楽器が今はほとんどなので、それらの新しいものではなく古い例えばアンプとかキーボードがかなりの価値を持っているのに、欲しくとも手に入れられないという法律が施行されるという理不尽に皆怒っていたわけだった。
思想信条、支持政党など話すことなど(絶対に?)ないと言っていい私たちでも、あれにはちょっと頭に来てしまった。
それも経済産業省は施行の直前になって言い始めたのだから、市場は混乱し、反発したのだった。ここでも官庁は大きなミスをしたと言って良いだろう。
この辺りの事情についてはWikiに詳しいのでぜひ参照してほしい。
で、多くの価値のあるものが捨てられたあげく、先月この法律の成立から施行にかけて経済産業省がミスを認めて中古業者に全面的に謝罪しPSE法を見直すと表明したのだった。
官僚が自らミスを認め謝罪するというのは、珍しいことで、にわかには信じられないでいたが、どうも本当らしい。この国にも良心のある役人が少しはいたということか、それとも他の力学が働いたのか?
いまだにちょっと素直には信じられていないけれど、ともかく、一年ほどで失われたものはどれだけ多いかを考えるより「悪法」を見直してくれることにまずは期待しようと思う。
by Schweizer_Musik | 2007-08-18 09:49 | 日々の出来事
グルダ、フィッシャー、ブレンデルのベートーヴェン…
ベートーヴェンをコンプリートで聞こうなどと言う気はもとよりないけれど、このところまとめてベートーヴェンを聞くということをやっている。何だか聞き始めるとあれもこれもと思い始めて、つい…というわけである。
フリードリヒ・グルダのベートーヴェンのソナタなんて、学生時代、あれほど聞いたのに、CDもどこかにやってしまい、さっぱりということで、購入。昨日注文を出したら今日届く。これじゃその辺のCDショップが干上がるわけだ。
まっ、そんなことはともかく、グルダのアマデオ録音の全集がたった4000円ほどで買える時代というのは、果たして良いことなのかどうかわからないけれど、ともかくも買えてしまったので、さっきから聞いていた。
録音はアンビエンスをあまりとっていない、近接音中心の雰囲気のあまりないものであるが、何とも気持ちの良い響きで、ピアノがとてもよく鳴っているのに感動!そうそう、これだったと、昔聞いた記憶が甦ってきた。
聞いたのは4曲ほど。15番と18番、そして1番と8番。初期の作品に集中したのは別に理由はない。先日、VOX録音のブレンデルの全集を聞いて、お腹一杯になったというのに、翌日にはアニー・フィッシャーの全集を一日かけて聞いていた。これまた良い演奏で、感心したのだが、どうも今ひとつ録音が良くないのは惜しいところだった。
スタインウェイを使用とフンガロトンのホームページで出ていたけれど、ホロヴィッツなどの響きとは違うのは当然としても、遠く共通した何かが彼女のタッチにあるように感じられた。メカニックがどこか近いものがあるのだろうか?専門家でもないので、この程度しか私には分からない。
グルダはその点、実に気持ちの良い響きで聞かせる。ブレンデルとは全く異なる地平にあるピアニストである。タッチがとても安定して木質の良い響き、何というか響きに柔らかさ、柔軟性があるのだ。
久しぶりに聞いた「悲愴」は、大学時代、ピアノの実技試験で弾いた時に、毎日聞いてはこんなに上手に弾くなんて不可能!と思ったことを懐かしく思い出した。それを聞いて練習していたのもこんな暑い夏の日だった…。
by Schweizer_Musik | 2007-08-17 22:51 | CD試聴記
ナクソスのデータが直っていた…
ナクソス・ミュージック・ライブラリーには時々データに問題があって正確に再生できない場合がある。まぁ、ミスや事故は人間のやることなので、当然あるものだと思うので、そのこと自体を非難することは、どうかと思う。大切なのは間違いを見つけた、あるいはそれについてのクレームなどにどう対応するかであると思う。
先日、yurikamomeさんがリストの「死と舞踏」(ブレンデルのピアノ、ミヒャエル・ギーレン指揮ウィーン交響楽団による演奏)をとりあげておられたが、このデータが壊れていて音飛びが激しく、聞けなかった。
そこで、ナクソスにメールで「直して欲しい」と伝えたところ、約4日で正常な再生ができるようになっていた。
また、ヒコックスが指揮したエルガーのソスピーリも再生が出来なかったのだが、昨日試してみたら大丈夫だった。
私のメールに対しても丁寧な返事があり、どこかの新興のパソコンの周辺機器を作っているメーカーなどとの差を感じた。
大体、二流、三流企業というのは、こうしたことへの対応力でどうしても一流と大きく異なり、ユーザーのサポートまで手が回らないということが多い。
そんなことを思い、ナクソスの対応に満足していると、「白い恋人」のお菓子の問題が出ていた。つい一ヶ月ほど前だったか二ヶ月だったか忘れたけれど、よく似た話が北海道で起きていたけれど、またまたビデオの再生のような状態になっている。
記者会見する度に話がどんどん進展していくところもよく似ている。自らに戒めとしてこのことを肝に銘じておかなくてはなるまい。
by Schweizer_Musik | 2007-08-16 23:33 | 日々の出来事
ドヴォルザークのバガテル…ペレーニとコチシュ…うーん良い仕事してる
ミクローシュ・ペレーニとゾルターン・コチシュのコンサート・ライブがフンガロトンから出ていて、ナクソス・ミュージック・ライブラリーにあるのでお薦めしたい。
まり聞く機会のない作品で、ドヴォルザークのパガテルが入っているからだ。(多分?)ハンガリーのヴァイオリン奏者二人が加わっての1989年のライブ。
この曲に溢れているメロディーの魅力は一体どうだ!これぞドヴォルザークだ。コチシュがハルモニウムを演奏しているのも珍しいと思うが、これだけの腕利きの奏者たちによるドヴォルザークの知られざる名作が、簡単に聞けるようになっただけでも嬉しいことだ。他にもペレーニとコチシュによるデュオが色々入っているけれど、1995年のライブであるドビュッシーのチェロ・ソナタは実に素晴らしい出来であった。
こうしたオムニバス盤は、大抵よく知られた作品をただ並べただけで、演奏もそこそこというものが多く、滅多に買わないのだけれど、時々とんでもないものが入っていることがあるので、やはりたまにはチェックしておかないといけないなぁと思った次第。
by Schweizer_Musik | 2007-08-16 07:28 | ナクソスのHPで聞いた録音