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バークシャーからCDが届く
先日バークシャーに注文しておいたものが、今日届いた。
あまりに大量のCDに「やっちまった…」と後悔してみるが、もう遅い。ついつい買ってしまった100枚ほどのCDと午後は格闘していた。
主に近代から現代にかけてのCDで、ほとんどは未知の作品。ずいぶん沢山のCDを所持し、聞いているつもりでも、まだまだこんなにも知らない作品(というよりも知らない作曲家…)がいるのだと思うと、一生かけても満足できることなんてないのだという思いを強くする。
今回はVienna Modern MastersのCDがその半数以上を占めている。中には下山一二三氏のCDなどもあり、今日の午後、聞いてみたがさすがにお腹いっぱいになってしまい、続いて他の現代作品に手が出なくなってしまった。
で、ついでに買ったメータの「惑星」(300円ほどだったもので…)の中に入っていた「スターウォーズ」を聞いて、その驚くほど良い演奏に、若い頃のメータは良かったなぁなどと思ってみたりした。
しかし、大量のCDは置き場に困るので、早い目に売り払うかどうかしなくては…
by Schweizer_Musik | 2007-11-29 23:21 | 日々の出来事
ちょっと多忙…
このところ、個人的に多忙を極めていて、メールだけで世間と交流している状態である。
昨年、このブログでピアノの小品をいくつか後悔じゅなかった公開したけれど、その中の3曲が暴…じゅないって!…某出版社から出版されることとなった。来年の三月頃の話だそうだ。
詳細は後日また。したがって楽譜などの公開は二度とできないこととなったけれど、まぁうれしいことはうれしい。何人かの作家の作品がまとめられたもので、複数掲載は私だけのようで、ちょっと驚いている。
ちょっと近況報告まで。ドクター円海山さんをはじめとしてコメントへの返信は明日の朝、時間がとれれば…。すみません。
by Schweizer_Musik | 2007-11-27 21:55 | 日々の出来事
SF特撮映画音楽全集を聞く
学校の資料室で東宝のSF特撮映画音楽全集(10枚)を借りてきて聞いてみた。見た映画もいくつかある。封切り当時見たというものはさすがに無いが、1950年頃から1970年代までの作品が収められている。
やはり、まずは伊福部昭の「ゴジラ」の音楽から。
スカパー!でも放送されたものを録画して、私は何度となく見ているが、古典的な名作の音楽だけを聞くと、ちょっとショックなほど演奏が貧弱だった(笑)。映像の迫力で音の少々の貧弱さは相殺されていたのだろう。
この音楽を演奏したオーケストラのメンバーがおっかなびっくりで演奏している感じで、アンサンブルにまとまりが決定的に欠けているのだ。
現代のちょっと上手いアマチュアのオケでもこれより上手いだろう。

しかし、もの凄く面白かった。かつて黛敏郎が「赤線地帯」で(こんな言葉、現代では絶対に通じないだろうなぁ…)電子音楽なるものを使って音楽を担当した(これは高校生の時に映画館でみた)ものなどのように、当時としてはかなり実験的な音楽を使っていることが、再度確認できたことが大きな成果だった。
大体、あの有名なテーマが2-2-3-2というリズムで出来ている。単純そうでいてよく聞くと手が込んでいるという音楽。正に伊福部の真骨頂である。
隅田川とゴジラの場面で使われている技法はポリ・コードだと思われるが、「春の祭典」で使われた方法の応用で、続くバス・クラの不気味なメロディーにファゴットが影のような響きをつけ、ピアノがオスティナートを刻むあたりの迫力は大したものである。
コル・レーニョのトレモロにピアノのクラスターをぶつけた「オキシエン・ジェストロイヤー」は強烈だった。
続くチェロのモノローグに葬送の鐘のようなピアノのオスティナートをつけているが、この音楽が象徴している世界が「ゴジラ」の描いた世界観なのではないだろうか?

ゴジラ・シリーズの第二作「ゴジラの逆襲」は、佐藤勝が音楽を担当していて、実験的な部分はやや減少するが、その分、演奏がよく練れているのが特徴だ。
メインタイトルは、モードを使い第1作の「ゴジラ」マーチから進化した感じで、なかなか面白いさ思う。(ちなみに「ゴジラ」マーチは翌年の「空の怪獣ラドン」の追撃の場面につけた音楽で伊福部昭は進化を遂げていることも付け加えておきたい)
何と言っても若い佐藤勝のオーケストレーションの上手さは驚異的で、この時代の日本のレベルの高さを印象づける。

色々と考えながら聞いてみたけれど、伊福部昭の音楽の面白さ、佐藤勝の質感の高さは貧弱な演奏、録音からも十分に楽しめた。
by Schweizer_Musik | 2007-11-23 19:46 | CD試聴記
冬の夜の慰めに (11) ヴィオッティのヴァイオリン協奏曲第22番
ヴィンタートゥーアはチューリッヒから30分ほどの町で、世界的に有名な美術館がある町である。
旧市街を歩くと、古い町並みがよく保存されていて、スイスの中でも魅力的な町の一つである。
この町の音楽院は弦で有名だった。ダヒンデンやペーター・リバールといった先生が教えていたのだから当然だろう。今ではチューリッヒ音楽院と合併して、チューリッヒに移ってしまったが、その伝統は今でもスイスでは定評のあるところである。
今日は彼らの演奏するヴィオッティのバイオリン協奏曲第22番を楽しむことにした。LP初期のウェストミンスター・レーベルが放った名盤である。
この放浪レーベルは、親会社が何度も変わり、原盤は失われてしまったと考えられていたが、10年ほど前にニューヨークのビクターの倉庫から大量の原盤が発見されて、CDへの復刻がなされたことはよく知られている。
が、その中に無かったか、あるいはあったけれど商品化できないほど損傷していたのかは分からないが、ペーター・リバールの弾くこの名盤は発売されることは無かった。

1990年代はじめに、MCAレーベルから恐らくは板興しの形で復刻されていて、今日はそれを聞いたのであるが、大変優れた復刻状態で、私はこれで十分楽しんでいる。原盤からならばもう少し生々しい音が聞けたかも知れないけれど…1950年の録音ということで、あまり期待しすぎてもいけないだろう。
ヴインタートゥーア交響楽団と表記されているが、これは当地のヴィンタートゥーア・コレギウム・ムジクムのことである。
このオケはメジャー・レーベルと契約していないために、一度だけ例外的にヘンリク・シェリングのバッハの協奏曲の録音で共演して録音した以外は、ほとんど紹介されなかったので、大したことがない田舎のオケだと思われているようなので、少し紹介しておこう。
まず母体となったのは、1626年設立の音楽協会であった。宗教改革後の新しい聖歌の編纂や演奏活動の基本としながら、室内楽や合唱などの演奏を企画し、そうした音楽家たちを育てる母体ともなっていたのだ。
この音楽協会が、現在のようなオーケストラを組織したのは1875年になってからだが、以来多くの音楽家たちがこのオーケストラを振っている。
1945年2月。亡命したフルトヴェングラーが戦争中最後に演奏したのがこのオーケストラとの演奏会で、曲目はブルックナーの第8番の交響曲だった。

ペーター・リバールについてもあまり知られていないけれど、1950年代から1960年代にかけて、クララ・ハスキルや夫人とのリサイタルで、ヨーロッパでかなりの人気を博していた。
ヴィンタートゥーアのオケではコンマスとしても活躍し、オケのメンバーで弦楽四重奏団を組織して活動しており、これも大変優れたものとして有名であった。
ウォルフガング・サヴァリッシュがスイス・ロマンド管弦楽団のシェフになった時、懇願されて彼はスイス・ロマンド管のコンマスに就任している。
スカパー!で時折その当時のスイス・ロマンド管弦楽団の演奏の様子が放映され、ペーター・リバールの在りし日の姿を見られるのは私の密かな楽しみである。

さて、話をヴィオッティに戻そう。
このヴァイオリン協奏曲が書かれたのはモーツァルトが亡くなった頃、即ち1792年から1793年あたりらしい。
古典的な書法で書かれており、弦楽が中心のオーケストレーションにフルートなどがユニゾンや和音の充足音に使われている。
ヴァイオリンは名技性を披露するというよりも(もちろんかなり難しいところが多い。ダブルでの細かなパッセージなど、下手なヴァイオリン弾きでは手が出ない…)伸びやかなメロディーをよく歌うというところに特徴がある。
だから、リバールのように技術がしっかりしていて(彼はストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲の初演を担当している)、よく歌うけれど下手に弾き崩したりしないヴァイオリニストにピッタリなのだろう。
第1楽章のカデンツァの演奏は大変見事だし、オケは第1楽章の冒頭ではちょっと不安定な感じがなくもないというところだが、次第に熱を帯びてきて、第1楽章が終わる頃にはなかなかのアンサンブルとなっている。まぁ、ちょっと不安定な感じのはじまりも、何度か聞いている内にこれも良いかなと思い始めるから、何とも不思議な演奏である。
一発録り故の様々な傷、入りミスなどは、細かく聞いていると時折聞かれる。けれど、ミスがそれほど気になるのであれば、こうした古い演奏は聞かない方が良い。正確な演奏と音楽的な演奏とは違うのだけれど…。
終楽章など、この演奏で初めて聞いた私などは、今もって他の演奏が受け付けない不自由な状態となっている。
曲を聞くだけならば、デ・ヴィートやボベスコなども良い演奏なので、別にこれでないととまで言うつもりはないが、この古典期に書かれた短調のロマンチックな協奏曲は、木枯らしのこの季節にはピッタリの音楽ではないか…。
by Schweizer_Musik | 2007-11-23 17:14 | (新)冬の夜の慰めに…
モントリオール・チェンバー・プレーヤーズによるフランス近代室内楽集
ちょっと気が早いけれど、今年出会った一番の演奏は、シュナイト指揮の神奈川フィル定期で聞いたリヒャルト・シュトラウスの「最後の4つの歌」だった。
CDではモントリオール・チェンバー・プレーヤーズのルーセル、ロバルツ、ドビュッシー、ラヴェル、ケックランといったフランス近代の室内アンサンブル集である。
モントリオール交響楽団のメンバーによるこのCDは、昨日の夜聞いてからずっと我が家のスピーカーを鳴らしている。ラヴェルの「序奏とアレグロ」の美しさと言ったらもう…言葉にならない。
ロバルツの「前奏曲、マリーン、シャンソン」も大変気に入ったし、ルーセルの面白さはもう驚愕に値する。
ドビュッシーのソナタのふくよかな味わいは、このメンバーがいかに優れた演奏家たちの集まりであるか…ため息がでる。
フルートはよく知られたティモシー・ハッチンズ。そうあのシャルル・デュトワがかつて指揮して見事な録音を数多く世に送り出した、モントリオール交響楽団のメンバーによるアンサンブルなのだ。
ハープが若干エッジが効いていない気がしないでもないが、これも敢えて言えばの話である。全ての作品にハープとフルート、ヴィオラが入っているのだが、ヴィオラのニール・グリップも個別に聞けばまずまずの演奏なのだが、アンサンブルになると実にピッタリとはまってくる…。これこそアンサンブル奏者として彼らが超一流であることの証であろう。
ハッチンズのフルートは相変わらず見事である。華麗で軽やか、歌心にも不足なく、実に良い演奏である。
ロバルツの魅力的な作品については、今年の春先、ドクター円海山さんが取り上げておられたが、もっと聞かれてよい作品であろう。
またケックランのプリマヴェーラⅡと題された五重奏曲もこの演奏で初めて聞いたけれど、本当に魅力的で、多くの人がフランス近代に抱いているイメージそのものといった音楽で、演奏がどれも丁寧で、伸びやかで、そして美しくて…。
聞いたことのない人はぜひ!!
by Schweizer_Musik | 2007-11-19 23:05 | ナクソスのHPで聞いた録音
横浜混声合唱団による須賀田磯太郎の演奏を聞いてきた
今日は横浜混声合唱団によるコンサートで須賀田磯太郎の作品の演奏があるということで出かけた。
1934年作のアヴェ・マリアは合唱団のピッチが不安定でちょっとヒヤヒヤしたが、「曼珠沙華」でやや持ち直しホッとした。
したがってアヴェ・マリアは今ひとつの印象となってしまったけれど、2曲目の「曼珠沙華」以降は実に面白かった。
北原白秋のこの詩には、あの山田耕筰の名作がある。1911年に山田耕筰によって書かれたこの作品は、初期の傑作として名高いが、須賀田磯太郎の作品はそれ以後の作品ということになる。
さてその出来はというと山田耕筰の鋭角的なリズムが生み出す迫力からすると、より冷静に、ちょっと離れてその少しグロテスクとも言える世界を描いている。
山田耕筰の強烈な詩の世界への踏み込みを聞いた後では、少し踏み込みが足りないように感じなくもないが、それは異なる表現を須賀田磯太郎氏が目指した結果だと思う。
続く「お母さま」という1948年の作品は、佐野に住んでいた頃の曲で、比較的平易な語法で優しい世界を心ゆくまで描いている。
これらも気に入ったのだが、私は続いて歌われた「ふくろ」(1951作)に心奪われた。モードをさりげなく使って、平易な歌い回しの中に、絶妙なエキゾチシズムを配しており、傑作である。
1950年のNHK「みんなのうた」で発表された「ご飯の歌」は深尾須磨子の詩につけたユーモラスな歌で、とても楽しく聞けた。横浜混声合唱団のちょっとした演出も気が利いたものであった。
合唱団も懸命に取り組んでいたが、音楽が今ひとつ練れていないところもあり、今後一層の努力に期待したいと思うが、こうした意欲的なプロクラムに取り組んでおられることは高く評価したいと思う。

yurikamomeさんとご一緒し、須賀田磯太郎氏の姪御さんにある黒澤さんにご挨拶させていただく。
今日の演奏を聞いて、須賀田磯太郎の作品をさらに多くの人々に聞いてもらいたいし、演奏されるように色々と働きかけていきたいという思いを更に強くした。
興味をお持ちの方は、ナクソス・ミュージック・ライブラリーにあるので、聞いて頂きたいものである。
by Schweizer_Musik | 2007-11-18 20:32 | 日々の出来事
伴奏者?共演者?
ある学生が好きだということで、どんなものかと思い、"feel"というタイトルのオムニバスCDをその学生に借りて、三枚ほど聞いたところである。
中にはプレトニョフの弾いたショパンの遺作となった嬰ハ短調の夜想曲が入っていたり、千住真理子の弾いたエルガーの愛の挨拶などがあった。
まあ、この辺りは知っている曲なので、どうでも良かったのだが、千住真理子の曲でピアノを担当している人がとういう人なのか気になり始めて(解説が無かったので)調べようとしてネットで検索をかけてけれど、どうしても分からなかった。
彼女のオフィシャル・サイトでもこのCDの広告はデカデカと出て、曲目も出ているのに、ピアニストについては完全に無視…。
確かに曲はヴァイオリンが中心で、彼女の名前で売ろうとしていることはわかるけれど、この態度はプロデューサーをはじめとしてこのCDに関わる人達の見識を疑うものだ。ポピュラーの音楽では確かにスタジオ・ミュージシャンは現場では誰もが知っているテクニシャンだったりしても、クレジットされないことが多い。
でも、コンサートでは普通紹介するし、その人達の技量と合わさってその音楽が創造出来たはずだ。たった一人で演奏できたのではない。
アンサンブルを組んだ相手を下等に見なして無視するのは、おろかで不見識だと思った。
共演者を伴奏として低く見なすという、古い、誤った考えがまだ業界にあるのかと思うと暗澹たる思いである。
一度でもきちんとコンサートなどのために伴奏をしたことがある人ならわかるはずだが、ピアノがただ単に音を出しているだけでは、ソロはとても音楽にならないはずだし、作曲家はピアノのパートをソロの添え物として書くようなことはまずない。
伴奏という言葉も私には侮蔑的で、なるべく使わないようにしている。伴奏者でなく共演者なのだ。
シューベルトなどの歌曲でのピアノの役割は曲間のタイミングまで含めて、大きな部分を担っている。優秀な伴奏者であれば、若いソリストに助言し、呼吸のとり方まで教えることもある。
だから歌曲でも私は伴奏者という言葉は極力使わない。共演者として常に同等に考えている。でなければならないはずだ。
千住真理子の考えでこうしたプロモーションが行われているのでないことを、心から望みたい。そうした不見識なソリストだと思いたくない。
by Schweizer_Musik | 2007-11-18 10:47 | 日々の出来事
冬の夜の慰めに (10) フォーレのバラード嬰ヘ長調 レメリン(pf) ベルナルディ指揮バンクーバー放送管
ある人から言われた…。このシリーズは「冬」でなくてはならない理由がよくわからないと。
そりゃそうだ。冬をテーマとした曲を探しているのではなく、聞きたくなった曲をあげているだけなのだから。
といういうことで、季節限定のピールのような選曲で(失礼!)申し訳ないと思いつつ、好きな音楽について、更にダラダラ書いていくことにする。

昔、佐賀で仕事をした後、当時住んでいた久留米の家に帰るためにバスを待つ間、ちょっと喫茶店に入ってみた時、このフォーレのバラード嬰ヘ長調がかかっていた。
コーヒーを飲みながら、10分あまりの間、この曲を聞いて完全に魅せられてしまい、帰り際に何という曲だったか尋ねて、フォーレの作品だと知ったのである。演奏はロベール・カサドシュであった。
実は、レコードをこの時すでに持っていたし、聞いてもいたのだけれど、こんなにきれいな曲だと思わず、忘れていただけだった。どこかで聞いた気がするのだけれど、曲名が出てこないという状態だった。
しかし、何を聞いていたのだろう!大して意識もせず、本でも読みながら聞いて、そのままになっていたものと思われる。
しかし、以来、私の大好きな作品となってしまった。
佐賀での出会い以来、すぐに楽譜を買い求め、色々と調べてもみた。意外と低音に重きを置いているのに、聞くと何とも軽妙で、清々しい抒情が溢れているのは、ちょっとした不思議であった。

ロベール・カサドシュの録音ではバーンスタインの指揮するニューヨーク・フィルが共演していた。美しい演奏でバーンスタインがこんなにデリケートな指揮をするのかと思ったが、一方でもっと軽く、羽根が生えたような軽妙さがほしいと無い物ねだりをしたくなったのも事実である。
ソロはさすがニューヨーク・フィルでピアノとのからみも美しいのでこれを最初にお薦めするのは全く当然…。
でもナクソスにもステファン・レメリンのピアノ、マリオ・ベルナルディ指揮CBCバンクーバー管弦楽団の演奏がある。
これがなかなか軽妙で、ピアノも優れていて良い。まぁ口の悪い友人によれば、私は根っからの「B級グルメ」なのだそうで、言われてみればそうだなぁと思わないでもない。(私は自分で一流の舌を持っていると思いこんでいる奴なのだけれど…笑)
聞いたことの無い人は、まぁ、一度ご賞味あれ!
by Schweizer_Musik | 2007-11-18 10:03 | (新)冬の夜の慰めに…
冬の夜の慰めに (9) コンスタンの編曲したペレアスとメリザンド交響曲
ドビュッシーは交響曲を書いていない。いや正確には書きかけて放棄してしまったので、完成した交響曲がないと言った方が良いのだろう。
交響曲に近い作品として「海」があげられる。あれはシンフォニックな音楽としては、ドビュッシーらしい傑作であるけれど、やはり交響曲とわべるものがないことには変わりない。
ドビュッシーは歌劇を書くにあたり、ワーグナーからライト・モティーフ技法を活用している。これはプッチーニなども応用しており、20世紀の作曲家たちがこぞって活用したものであるけれど、ベルリオーズの幻想交響曲でも活用されていることからもわかるように、リヒャルト・ワーグナーの発明というわけではなく、細かく見ればはるか彼方昔から、使われていた技法である。
登場人物それぞれにテーマをあてることから名刺動機などと言われたりもする。
ライト・モティーフはもっと深く踏み込んで、気分や出来事などにも与えられ、繰り返し使われることで、緊密な一体感を与えるものとなる。
器楽の技法である主題の背景を統一し、緊密なまとまりを演出する技法を、舞台芸術作品に応用したものと考えればよいだろう。

さて、そうした技法を活用して書かれた「ペレアスとメリザンド」は、言うなれば「トリスタンとイゾルデ」の裏返しのようなものであった。
ドビュッシーは「トリスタンとイゾルデ」を他のどの作品よりも高く評価していたけれど、あの曲のような積極性はことごとくドビュッシーは退け、「運命の為すがままになっている登場人物」たちのささやかな愛憎を描いたのだった。
この驚くべきスコアは、1889年に最初のアイデアが生まれ、1902年にオペラ・コミークで初演された。
ドビュッシーはそれ以前のアリアとレチタティーヴォの分離を徹底して排し、一つの繋がった音楽劇として創造した。
会話は全てフランス語の抑揚による音程の変化に置き換えられ、歌うための音楽というよりも、語るための音楽というべきものとなっている。
それをつなぎ止め、大きくものを言っているのがライト・モティーフであるのだが、これにより、淡く、幻想的な物語が一つのまとめられるのである。
「ペレアス…」の原作は「青い鳥」などの作者でもあるメーテルリンク。
シベリウスやフォーレの劇付随音楽、シェーンベルクの交響詩など、このメーテルリンクのお話をもとに書かれた名作は多いが、歌劇はこのドビュッシーのものだけである(多分…)
原作をほぼそのまま脚色もあまりせず書かれたドビュッシーのこの歌劇は、20世紀はじめに完成された傑作として、そしてドビュッシー唯一の「完成された」歌劇として各地の歌劇場のレパートリーとして定着したのだった。
しかし、交響曲は書かれなかった…。

これをコンスタンが交響作品にした。ライト・モティーフをシンフォニックに配置してなかなか巧妙に歌劇の一幕から五幕までを味わわせてくれる。出会いからメリザンドの死までが、淡い筆致で描かれる。
いや、コンスタンが巧みであるというよりもドビュッシーの原作の優れた面を一層強調したともいえる。編曲作品としては極めて大きな成功をおさめた作品だと私は考える。

DENONから先頃惜しくも引退したジャン・フルネが、1961年から指揮をしているオランダ放送管弦楽団を振って1996年に録音したものが1000円で出ている。
かつてはボードがチェコ・フィルを振ったもので楽しんだものであろうが(私は最近学校の資料室でボード盤を借りてはじめて聞いた)、このフルネ盤が(録音も含めて)最も優れたものとして薦められると思う。
冬の日の幻想…は、シェーンベルクの「浄められた夜」やチャイコフスキーも良いが、この淡い幻想も私は良さそうに思う。
by Schweizer_Musik | 2007-11-18 07:41 | (新)冬の夜の慰めに…
シュトックマイヤーのバッハ・オルガン全集
1977年頃から1981年頃にかけて録音されたウォルフガング・シュトックマイヤーの演奏したバッハ・オルガン全集を買ってそのままになっていたことに気がつき、日がな一日それを聞いて、今日は完全休養日とした。
このブログによると、2005年の11月25日に買ったと書いているので、二年もほったらかしにしていたわけだ。
さて何から聞くかと思い、まずオルガン小曲集をパラパラと聞いてからパッサカリアとフーガなどの大物を聞き、聖アンの前奏曲とフーガで挟まれたドイツ・オルガン・ミサを聞き、ヴィヴァルディなどの協奏曲の編曲を聞いて一日が終わった。
とても優れた演奏だと思った。彼は長くケルンで教えていたはずで、彼に習ったという日本人もかなりいるのではないだろうか?
よく見ると、ライオネル・ロッグやヘーリックなどの全集で聞けなかった疑作、あるいは偽作も含まれていて、BWV525からBWV701までのオルガン作品の全てが録音されているというのも、今まで無かったことだ。
今日はそれらの作品はほとんど聞いていないけれど、自分のカタログの穴を埋める意味でもこのCDは貴重な存在だったと知った。
とは言え、そんな収集癖は私はあまりない(全く説得力のない言葉…)ので、どうでも良いのだが、それでも何となく得した気分だ。
たった3000円足らずで、20枚のCDにこの優れた演奏が手にはいるのだから、見つけたら買って損はないだろう。
いや、後は寝るまでトリオ・ソナタでも聞いて過ごすこととしよう!
by Schweizer_Musik | 2007-11-17 22:00 | CD試聴記