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春はあけぼの…音楽を聞こう -29. 別宮貞雄の交響曲第3番「春」
c0042908_2150146.jpg1984年に書かれた作品。ちょっとここまで古典的な様式でやるのかと驚かされるが、ちょっとした映画音楽風で、ほのぼのしていて、それがいかにも「春」らしい。
私の持っているディスクは若杉弘氏の指揮する東京都交響楽団による1993年の録音である。
各楽章にタイトルというか標題があり、極めて伝統的なロマン主義による標題交響曲である点が特徴だろう。
第1楽章は「春の訪れ」(あっという間に春はやってくる)というタイトルがつけられていて、ちょっとアルペン・ホルン風の出だしが、シュトラウスの楽曲を思い出させたりする。
第2楽章は「花咲き、蝶は舞い……」(そして鳥がさえずる。深い山の中の自然の美しさ)というタイトルが示すように、音楽は更にシュトラウスばりの描写性に傾くこととなる。そして、最後の第3楽章では「人は踊る」(人々は浮かれ出す)というタイトルが示すようにリズミックな楽章となる。
しかし、ここまで古典的な和声に固執したのはどうしてなのだろう?その数年前に書き上げた交響曲第2番ですら、もっと近代的なハーモニーをベースにしていたのに、せいぜいシューマン程度の和声に戻った別宮貞雄のこの作品に、実は戸惑っているというのが、私の正直な感想である。
この後に書かれた「1945年夏」をテーマにした作品ではもっと表現主義的なのに…(まぁそうならざるを得ないというのも事実ではあるが)。
しかし、近現代の「難解な音楽」という印象をこの作品から抱く人はいないだろう。
演奏は、若杉らしからぬピッチの乱れがあったりして、少々不満である。とは言え、我が国の作曲界の重鎮の作品である。心して聞こうではないか!
写真は今日の昼、久しぶりに家族みんなで近くのレストランで食事をした帰り、腹ごなしに一人で散歩していた時に見つけた若葉の写真である。
目に青葉…、あっそうだ、明日は鰹を食べよう!
by Schweizer_Musik | 2008-04-06 21:20 | 春はあけぼの…音楽を楽しもう
紀元二千六百年に演奏された作品・演奏 その2
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ローム ミュージック ファンデーション SPレコード復刻CD集のおかげで、紀元二千六百年での音楽の全貌をようやく聞くことができるようになったのは嬉しいばかりである。
ちなみに、こういうことを書くと「右翼」と誤解されるかもと、ある人に注意を受けた。私は政治的には中立というか、完璧に日和見主義で、ただ平和な社会で住みよい社会であってほしいというだけなのであって、右・左は意識にない。
まっ、断っておかないと困るほど暮らしにくい社会になったらしい…。

紀元二千六百年での音楽もこういう状況の下で死蔵されることになったのだろうか?私如きには政治の話は難し過ぎてわからない。
でも、イベールの祝典序曲はそれでも比較的よく演奏されている。シュトラウスの作品は、何年か前にアシュケナージがチェコ・フィルを指揮してCDを出したけれど、これがはじめてのステレオ録音ではなかったか?
日本での戦後の演奏はWikiの皇紀2600年奉祝曲によれば、五回のみだそうである。録音もなく、ルドルフ・ケンペの管弦楽曲全集にも収録されていない。
まぁ、あの全集は「全集」とされているけれど実際には洩れが多く、選集とすべきだろうが…。
さて、シュトラウスの作品をその弟子であったヘルムート・フェルマーが指揮するそれは、なかなかの聞き物で、ゴングをいくつか組み合わせたそれは独特の趣だと思った。
楽曲についてWikiの日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲に詳しく述べられているので、今更であるが、この作品がシュトラウス円熟期の交響作品としてもっと演奏されてもおかしくはないと思う。
ヘルムート・フェルマーの指揮するオケの状態も大変良い。ハープのアルペジオにゴングを組み合わせたサウンドは実演ならどう響くのだろうと、想像するだに面白そうだった。確かシュトラウス自身の録音もあったはずだが、私は聞いた記憶がない。アシュケナージの録音は未だ指揮者に対する躊躇のため買いそびれているが、この初演の時の録音を聞けば、持っておかないと…という気にもなる。なにしろナクソスにも存在しない音源なのだから…。
しかし、どうしてこんなに演奏されないのだろう。不思議なことだ…。

この考察、もう少し続ける予定。ピツェッティの作品などにも触れたいので…。
by Schweizer_Musik | 2008-04-06 10:52 | CD試聴記
紀元二千六百年に演奏された作品・演奏
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この前の夕陽の写真とほぼ同じ構図で今日の夕陽(らしきもの)を撮ってみた。高曇りというか、うっすらとした雲は日中には太陽の光が勝るものの、夕暮れとなるとどうしようもなく雲の壁にほとんどが遮られてしまう。
わずかに雲のすきまのようなところから夕焼けに染まる雲が覗いていた。けれど、雲はカーテンのようになっていては少々芸がない…。

一昨日は久しぶりの学校で、色んな意味で変化を体感した。そして私の春休みは、多くのサラリーマンの方々の顰蹙を買いつつあと一週間半続く。この間にオケものの作品を書いてみようと思っているが、授業の準備もそろそろやらなくてはならない。
場当たりでは授業にならない。意外と教えるというのは準備が大変なのだけれど、この辺が教えられる側には分からないらしい…。まっ仕方ないか。

学校に行ったついでに、ローム ミュージック ファンデーション SPレコード復刻CD集の第3集を借りてきて聞いている。
聞きたかったのはイベールの祝典序曲を山田耕筰が指揮したものと、シャーンドル・ヴェレシュの交響曲第1番を橋本国彦が指揮したものである。
両方ともステレオでの良い録音を私は持っているので、今更と言われるかもしれないが、これらは紀元二千六百年の委嘱作品で、1940年当時の日本のオケの最も上手い人たちが集まった紀元二千六百年奉祝交響楽団による演奏だという点で、とてつもなく貴重な作品であり、演奏なのだ。
とりわけこの2作品は日本人が指揮をしたという点で、いかなるレベルの演奏だったのかと大変興味が湧いてくる。
イベールはマルティノンの指揮によるものと聞きくらべをしてみた。フランス国立放送の第1オケは確かに上手いし、余裕たっぷりに演奏している。フガートでの主題の提示は山田耕筰の指揮は直裁で真っ直ぐに迫ってくるが、マルティノンはもっと陰影が深くつけられている。
しかし、初演としては山田耕筰の指揮する当時のオールスター・オーケストラは素晴らしい出来映えを示している。
オケも1940年当時、ここまでのことが出来ていたとは驚異的だ。ややピッチの甘いところがなきにしもあらずで、これは橋本國彦指揮のシャーンドル・ヴェレシュの作品で少しだけ気になるけれど、この作品が初演当時どんな音で響いたのかを知る上に大きな意義があったと思う。
敗戦後、我が国は軍国主義を生み出したという反省のもとに皇国史観を見直し、1940年にあった紀元二千六百年の出来事もなるべく触れないようにとのことで、こうした音楽を演奏することが、差し障りがあるとなったのか、日本のオケで演奏されなくなってしまった。演奏が難しすぎたわけではあるまいに…。
橋本國彦も公職追放となり、楽壇の中心から去り、日本は伊福部らの新しい楽派が台頭することとなるのだが、こうした中で紀元二千六百年の音楽は更に忘れられて行った。
シャーンドル・ヴェレシュを日本の当時の役所がシャーンドルを姓と思いこんでパンフレットを作ってしまったから、シャーンドル・ヴェレシュの名前は憶えられることなく、そのヴェレシュもハンガリーの共産主義政権を嫌い(ナチスは我慢が出来たのに、共産主義の人権抑圧は彼をギリギリまで追い込んだのだった…)イタリアに亡命してしまった。スイスはイタリアで孤独に仕事を求めていた彼にベルンの音楽院の職を提供したので、ついスイスに亡命とよく書かれるのだが、事実は少々入り組んでいる。
ともかく、バルトークのおそらくは唯一の高弟であったヴェレシュはとてつもなく偉大な作曲家であり、音楽家だった。その若き日の傑作の誕生に我が国が関わったことを忘れてはならない。
ありがたいことに、ナクソスにこの交響曲の録音がある!!数年前に出た時にあわてて秋葉原の石○電気で買ったものだが、今ではナクソス・ミュージック・ライブラリーに入っていればいつでも聞ける。購入は今でも可能なのだろうか?フンガロトンのカタログにはまだ載っているようだけれど。
ナクソスで聞くには検索のページで作曲家のところにVeress, Sandorと入れて検索をすると出て来る。
彼の作風の変遷についても今後どこかで触れていかねばならないと思っているところである。

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この写真は今朝の我が家からの写真である。朝、起きてゴソゴソしてから新聞を取りに出るついでに写真を撮るのが日課となりつつある。
by Schweizer_Musik | 2008-04-06 08:00 | CD試聴記
春はあけぼの…音楽を聞こう -28. ハイドンの弦楽四重奏曲ト長調 Op.50-5「夢」
c0042908_8472670.jpgハイドンの弦楽四重奏をもう一曲紹介しておこう。
何しろ古い番号付けではホーフシュテッターのシリーズなどが紛れ込んでしまい、ナンバリングが意味を持たなくなってしまい、混乱を来しているというのもあるが、それもドヴォルザークの交響曲のように5曲だったのが9曲になる程度ならそれほどでもないのだけれど、ハイドンのように自身の作と分かっているだけで67曲、以前は82曲でナンバリングされていたものについては、私などは憶え直すなどというのは全く、無理!である。

さて、そんなことはどうでも良い。今回は作品50の5。誰が付けたのか「夢」というタイトルがついているが、それはこの第2楽章の夢を見るような穏やかで美しい音楽が元ではないだろうか?作品76の「ラルゴ」とともにハイドン最高のメロディーの一つだと思う。
作品50は、原田幸一郎が在籍していた頃の東京カルテットの素晴らしい演奏があったけれど、このアマティ四重奏団の演奏は遙かに凌駕するというのは言い過ぎかも知れないが、現在手に入る最も優れた演奏であると私は思う。
そう言えばこの四重奏団も第1バイオリンがWilly Zimmermann(ウィリー・ツィマーマン)からセバスティアン・ハマン(Sebastian Hamann)に替わっている。いつ頃替わったのかは知らないが、私が彼らの存在を知った2000年頃(何という遅さだ!!)にはまだツィンマーマンだったはずで、最近のことであろう。
このあたりの事情について、日本で知ることは大変難しい…。

しかし、ハイドンの弦楽四重奏曲、特にこの作品50は後に交響曲で使われた素材が出て来るので、少し交響曲に親しんだ人ならとても面白いことだろう。その上曲が愉悦に満ちているのだから…。
「夢」は比較的短い作品ながら、うたかたの夢の如く淡く、どこか悲しげな余韻に満ちていて、私には愛おしいメロディーの一つである。
これをアマティ四重奏団の見事な演奏で聞く。弦の音にきらめくような美感がある。我が国では無名でも、メジャー・レーベルと契約していなくても、素晴らしい演奏家はたくさんいる。
ちなみにナクソスでの楽曲のテンポ表示、この曲に関して言えば第1楽章 Allegro、第2楽章 Poco adagio、第3楽章 Tempo di menuet : Allegretto、第4楽章 Finale : Vivaceだと承知しているのだけれど、どうも違っているように思われる。(スコアが現在見あたらず、未確認情報です)ただ、DIVOXレーベルでも同じ表記をしているので、これが正しいのだろうか?
でもゆったりした第2楽章がTempo di minuettoというのはいくらなんでも違っていると思うのだが…。
by Schweizer_Musik | 2008-04-04 08:48 | 春はあけぼの…音楽を楽しもう
春はあけぼの…音楽を聞こう -27. ハイドンの弦楽四重奏曲ト長調 Op.77-1
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ハイドンの弦楽四重奏曲の最後のセットで、結局2曲で終わった作品の最初の方をとりあげよう。この清々しい作品が1799年、もう70才間近の老人の手になるとは信じられない。
ハイドンもまた、モーツァルトとともに神に選ばれた音楽の紡ぎ手であったのだ。
演奏はアマティ四重奏団によるもの。今から3〜4年前に手に入れた一枚だが、ナクソスにアップされていた。
彼らの演奏は線は多少細いものの、音の美感において、アンサンブルの緻密さにおいて全く素晴らしいものがある。1981年創設後、1982年にエヴィアンのコンクールでグランプリをとっている実力派である。コンクールの入賞歴などどうでも良いが、ここで聞く彼らの演奏は1987年から1988年にかけてのもので、一緒にアップされているスイスの作曲家ハラーやフォーゲルの作品もそれぞれ1987年1993年と設立後10年前後のものがほとんどで、メンバー個々の能力の高さを窺わせるものだと言えよう。
彼らの演奏はここでも何度かとりあげているがさて、このハイドンも同様に、実に美しい演奏である。
軽快でさっそうとして…。「皇帝」や「ひばり」なんていう名前がないというだけで、地味な曲なんて想像してはいけない。ハイドンはやはりハイドンである。その円熟した作品を、春の陽光の中、楽しんでみては?

上の写真は昨日の日没。水蒸気の多い空で、薄く靄がかかったまま一日が過ぎていったけれど、こんな日は夕焼けがきれいだと思う。大きな大きな夕陽だった。
by Schweizer_Musik | 2008-04-04 07:32 | 春はあけぼの…音楽を楽しもう
津田理子さんのピアノ・リサイタル開催!
c0042908_7294419.jpgyurakamomeさんと密かに?来年やろうと話し合っていた津田理子さんの横浜公演、先を越されてしまいました…(笑)。
主催は横浜でピアノ教室を主宰しておられる方です。
会場は新杉田に最近出来た杉田劇場というところだとのこと。
300のキャパということで、私も応援しようと思います。
次の曲目が予定されています。

バッハのパルティータ6番
ショパンのスケルツォ3番
ドビュッシーの版画
ラフマニノフの楽興の時より

バッハやラフマニノフは今年の夏の終わりにチューリッヒ、トーンハレで行われる津田さんの連続コンサートで取り上げられる曲で、一足早く聞けることとなります。
前にも書きましたが、チューリッヒでは私の曲もやって下さるとのことで、私も今年はスイスに行く予定です。(私の宣伝です…笑)
彼女のファンになってすでに10年近く…。ヒナステラのピアノ曲全集が出会いの一枚となりました。
津田さんのホームページを発見して、メールをさせていただき、勝手に応援ページを立ち上げたのは八年前です。

スイス在住のピアニスト津田さんの素晴らしいピアノのファンが増えることを、心から期待しつつ…。

津田理子とピアノ音楽の集い
 
日時 : 5月18日 (日) 開場 /13:30
          開演 /14:00 

場所 : 磯子区区民センター 杉田劇場 ( 京浜東北根岸線新杉田駅下車)3分
入場料 :3000円(全席自由)

急に決まったようで、チラシは現在作成中だそうです。チケットなどご入り用の方はコメント欄、もしくはschweizer_musik@mac.comまでよろしくお願いします。
下の写真はスイス、チューリッヒの津田さんのお宅に滞在させていただいて、取材した時の車窓の風景。早春のスイスを象徴しているようで、夢中になってシャッターを切った一枚である。
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by Schweizer_Musik | 2008-04-03 07:30 | 音楽時事
ビーチャムの指揮でモーツァルトの交響曲39番と40番を聞く
c0042908_16364078.jpgトマス・ビーチャムが1956年に手兵のロイヤル・フィルを指揮して録音したモーツァルトの39番と40番の交響曲をナクソスで聞く。
40番はマリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(以下長いのでアカデミー室内管と呼ぶ)のフィリップスへの録音である。そこで示したマリナーのスコアの徹底した研究の成果とも呼ぶべき演奏は、スコアを裏の裏まで読み切った者の自信のようなものに溢れていた。
私はモーツァルトに関しては、ワルターを聞いて育ったに等しいので、こういった小編成のものには多少抵抗があったのだけれど、マリナーはそうした思いこみを訂正してくれた。
で、未だにモーツァルトの交響曲と言えばマリナー一辺倒なのだけれど、細かいところまで磨き上げられたマリナーとアカデミー室内管の演奏を耳にタコができるほど(下手な慣用句でごめんなさい!)聞いた私にはビーチャムは少し大らかすぎているように思われる。
演奏スタイルは当然ながら伝統的な様式で、どこも実に立派な響きなのだけれど、音楽のつかみ方がよく言えば大きく、細かなことにこだわらないタイプ、悪く言えば大雑把で、パッと見にはきれいだけれど、よく見ると…という感じ。
特に40番の第1楽章のコーダなど、録音し直せばよかったのにと思うほどの乱れが生じていて、ちょっとドキッとした。
第2楽章の32分音符の処理が上手だなと思っていたら、メロディーが管楽器の和音に埋まってしまっていたりという具合で、仕上がりが今ひとつなのだ。
終楽章などどういう音楽にしたいのか、私にはよくわからない。ポリフォニックな部分の処理がとても雑で、ハイドンであれほど見事な演奏を聞かせたビーチャムとは思えない。
ビーチャムはどれもこんな感じなどと言うつもりはない。しかしこの40番の演奏があまり話題にならなかったのはこんなところに原因があったのではないだろうか?
ちなみにビーチャムはクラリネット無しの第1版を使っている。

大好きなト短調から書いてしまったのだけれど、39番の方がずっと良い出来である。
39番は細部までとてもよく仕上がっている名演なのだ。同じ時期の録音だと思うのだけれど…。
実はスイス・ロマンドを振った1958年のライブ録音を持っていて、これと聞き比べてみた。それで思ったのは、この曲をビーチャムが得意にしていたようだということ。
第1楽章からフレージング、アーティキュレーションまで細かな仕上がり具合で、パートの出し入れも何とも具合がよろしい。第2楽章も上品でヘ短調の部分をサラリと歌い上げて、余韻を感じさせる辺りもなかなか美しい。
第3楽章は少し遅すぎてテンポが最初はまらない。次第に落ち着いてくるのだけれど、これはちょっと?である。どうして録音しなおさなかったのだろう?
白眉は終楽章で、生気に満ち、あのくるみ割り人形で聞かせた反応のよい響きが聞かれる。ただ、時々木管が飛び出したりしていて、録音スタッフのセンスを疑いたくなる場面もあった。
それでも…この楽章だけでも良かった…そんな気になるほどである。
トマス・ビーチャムのモーツァルトは昨日からの「お馴染みさん」シリーズではちょっと期待ハズレに終わった。このシリーズはそろそろ終わりにしようと思っていたのだけれど、ちょっとこれでは終われない…。
by Schweizer_Musik | 2008-04-02 16:37 | ナクソスのHPで聞いた録音
カサドシュの弾くモーツァルトのニ短調協奏曲
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カサドシュが弾くモーツァルトは全部聞いているつもりだったけれど、今調べてみるとクーベリックと共演した21番だけしか持っていないことが判明!なんということだ!
LPでは全部持っていて、20年以上前はとてもよく聞いたものだが、CD時代になって買いそびれたままになっているみたいだ。ひょっとすると大阪に置いているかも知れないので、今度帰ったら探してみようと思う。
ところで、カサドシュのモーツァルトの協奏曲で人気のニ短調KV.466がないのは随分不可解なことだった。昔、何かで(確かレコ芸の付録だったように思うが)20番が存在したことを知り、ぜひ聞いてみたいものだと思っていたのだけれど、それがナクソスに登場していた。
テーマが個性的な18番も入っていて、1956年の録音だとのこと。オケはジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団で全く危うげなところもなく、9.80000番台の録音の多くにある針音も全くなく、モノラルというだけでとても良い録音である。ステレオ盤で感じたピアノが引っ込み過ぎるという弊害も(あれさえなけれど…)なく、ジョージ・セル指揮のオケもとてもよく録れている。
第18番の終楽章など、かなり入り組んだピアノとオケの駆け引きが面白い曲なのだけれど、このコンビは見事に裁いて魅せる…。うーん、これなら天国のモーツァルトも満足しているのではないだろうか。
第20番は期待通りの名演だ。
カサドシュは決して軽い響きのピアニストではない。硬質で柔らかな響きではないだけである。これがジョージ・セルの指揮によく合う!
古典的な様式美を大切にしながらも、実によく歌う。これがこの演奏の特徴だろう。フレーズはよく息をし、膨らみ、縮む。テンポの変化はほとんどなく強弱の変化だけでこれを印象づけるのはなかなか至難の業であるが、このピアニストと指揮者は見事!である。
第2楽章の中間での表現はまさに鬼神の如く…である。ここまで劇的な演奏はあまり聞いたことがない。まさに息を呑む瞬間であった。
また第1楽章、第3楽章のカデンツァは初めて聞くものであった大体ベートーヴェンのものかフンメル、最近ではゲザ・アンダのものなどが多いが、これはカサドシュの作なのだろうか?主題の展開の仕方が面白く、私は結構気に入った。
この録音があまり知られていないのは、ただただモノラルの録音であるということだったのだろう。ソニーはどうも古いエピック・レーベルの復刻に積極的でないように思うのだけれど、こうしてナクソスで聞けるようになったので良しとすべしか。
モーツァルト好きにはお薦め!

写真は昨日の散歩の途中に撮った山桜(だと思う)。根元の辺りから空を見上げると、チラホラと遅咲きの桜が枝にチラホラと咲いていて、背景の青空ととても良い感じだった。写真だとうまく表せないのでなんとももどかしいのだが、クリックして大きな画面で見ていただけば、その時の私の感動が少しはお伝えできるのでは…と思う。
by Schweizer_Musik | 2008-04-02 10:35 | ナクソスのHPで聞いた録音
ソンドラ・ビアンカの弾くフィールドのピアノ協奏曲他
c0042908_7322085.jpgソンドラ・ビアンカ(Sondra Bianca)を知っているという人はかなりのキャリアの人だろう。私はチャイコフスキーのピアノ協奏曲はこの人ではじめて聞いた。指揮はハンス=ユルゲン・ワルター(Hans-Jurgen Walther)であった。オケはハンブルクのオケだったと思うが、定かではない。
聞き始めたばかりの小学六年生の頃だったと思う。出だしに感動したし、その後のピアノのフレーズも好きだった。しかし、私を魅了したのは主部に入ってからのピアノとオケの息詰まるようなやりとりだった。
その後、リヒテルとアンチェルの演奏を同じく廉価盤で手に入れて、これが名演なのだと言い聞かせつつも、実は何が良いのかサッパリ…で、聞きたいと思うのはビアンカの方だった。
しかし、ビアンカの名前はこれだけでしか知らず、どういう経歴なのか調べる術もないままに今日まで来てしまった。
彼女は1930年11月17日ブルックリンで生まれたアメリカ人のピアニスト。1941年11月1日にわずか10才にしてニューヨーク・フィルハーモニックと共演してカーネギー・ホールにてデビューした所謂「天才少女ピアニスト」だった。
1950年代から1960年代にかけて多くの録音を残しているが(私は上記の録音しか知らない)、その後の活動については不明…である。
硬質なタッチで、バリバリ弾くタイプだが、荒っぽくはならない。生気に満ちた演奏と言うべきだろう。
フィールドは1782年アイルランドに生まれた作曲家。ここで弾かれているピアノ協奏曲第1番は1799年の作曲ということで、17才の時の作品ということになる。
古典派に属するスタイルで書かれた佳作である。メロディーに魅力があり、なかなかに聞かせる。殊に第2楽章に民謡を使って独特の味わいを出している。終楽章ではパグパイプの響きを模してみたりと工夫が諸処に聞かれ、この作曲家がなかなかのセンスを持っていることを示している。いや17才にしてはなかなか…である。
フィールドと言えば、夜想曲であろう。ショパンに影響を与えたこの様式の元祖?だから、ビアンカは5曲ここで演奏している。古典派からロマン派への移り変わる時代を見事に写した録音である。
1957年の録音にしてはややノイズが多いのはともかく、鑑賞の大きな妨げにはならない。ステレオで良い演奏もナクソスにあるので、フィールドを聞くならそちらを選ぶべきかも知れないが…。この辺りがビアンカの限界か?でもいつ頃引退したのだろう?
ちょっと調べてみたけれど、結局わからなかった…。
ハンス=ユルゲン・ワルターの指揮したものなど、もう一度聞いてみたいものがまだたくさんあるけれど、これらはあのコロンビア・ダイヤモンド・シリーズを聞き込んだ者だけのノスタルジーなのかも知れない。

写真は桜もそろそろ終わりに近づいた今朝の大船観音である。こうした大きな像は私には悪趣味に感じられる。昔住んでいた九州の久留米には慈母観音像というとてつもなく大きな像があったけれど、あれなどは悪趣味の典型で、私には景観を壊すものとしてしか映らない。
色んな感じ方をされる方がいるだろうが、夜、暗闇の中にぼんやり浮かぶ像の姿は不気味としか言いようがない。
ヨーロッパなどではああいう大きな像は見たことがない。アメリカはあちこちにあるようだけれど…。
とは言え、毎日見ているとこの大船観音に慣れてしまった…。好きにはなれないし、愛着も全く湧かないけれど、最初の頃のおぞましく感じられた印象は大分薄れてきた。
by Schweizer_Musik | 2008-04-02 07:33 | ナクソスのHPで聞いた録音
オーマンディの指揮した英雄の生涯を聞く
c0042908_20455788.jpgオーマンディが1952年から1954年にかけて録音した「英雄の生涯と「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を聞く。すでにステレオで何種類か持っているので、別に聞くこともなかったのだけれど、ソリストに Jacob krachmalnickの名前があったので、興味が湧いたのだ。
このヴァイオリニストは知る人ぞ知る名コンマスで、フィラデルフィア管弦楽団のコンマスは1950年頃からではなかったか。前任は忘れたけれど、確かクリーヴランド管弦楽団あたりだったようにうっすらと記憶している。
1958年から1960年にロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンマスになっていて、その後はアメリカで活動していたはずだ。
この名コンマスがソリストをつとめた録音は多いけれど、オーマンディとの初期のモノラル録音はほとんど聞いたことがなかった。その結果は…。凄い演奏だ。あのライナーの名演に迫る出来映えで、この時代からオーマンディはすでに巨匠だったことを痛感させられる。
殊に「英雄の引退」から後の部分を聞いていると、この作品がとても良い曲に聞こえてくるから面白い。
大体自分を英雄扱いして交響詩を書くなどという発想は、常人では考えられないことで、この曲を私は音楽的には傑作だと思うし評価もするが、大嫌いな曲の一つなのだ。とは言え、純粋に音楽的に聞くととても面白いし、管弦楽法はまっ言うまでもないことだが超絶的だし…。
この曲は名演に恵まれている。オーマンディやライナー、カラヤンや小澤征爾…。どれも素晴らしいものばかりであるが、このモノラル録音は、ソリストの良さだけでなく、全体としての勢い、力強さでも際だった名演だと思う。
問題はモノラルであるというだけであるが、水準はクリアしているので、もう一度聞いてみたい録音でもある。
この時代のオーマンディの録音がいくつかナクソスにあり、ソニー・クラシカルからもまだ復刻されていない録音ばかりで興味を惹く。
私はゼルキン(もちろん父親の方)とのベートーヴェンのピアノ協奏曲全集など面白そうだと思っている。次はこれでも聞こうか、トマス・ビーチャムのモーツァルトの最後の三大交響曲にしようか迷っている。
ナクソス散策はなかなか大変だ…(笑)

上の写真は、今日の午後、散歩に出た時の桜の写真。もう終わりに近いのか、花びらに瑞々しさがなくなって来ているように思えた。
by Schweizer_Musik | 2008-04-01 20:51 | ナクソスのHPで聞いた録音