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12月31日
今朝も寒い…。雨はあがったようだが、夕べは遅くまで起きてしまったので、今朝は九時過ぎまで寝てしまった。おかげで快調(笑)。
寒すぎて仕事にならないので、音楽を聞く。寒いときにはシベリウスだ。後期の交響曲、特に4番や6番では寒々とし過ぎるので、ヴァイオリン協奏曲を聞いてみた。普段は滅多に聞かないダヴィド・オイストラフの演奏を聞いてみた。ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮である。あまりこの曲でベストにあげられない演奏だが、確かにシベリウスらしくないようにも感じたけれど、ドイツ音楽みたいにしっかりした演奏にシベリウスは耐えうることを発見し、面白く感じた。
続いて、ヴァイオリンでワンダ・ウィルコミルスカの演奏でクライスラー作品を聞いた。上手い!上手すぎるほどだ。ホイベルガーの喜歌劇「オペラ舞踏会」の中のアリアをクライスラーが編曲したものなど、普通は媚を売りまくり、流し目のようなルバートで気を惹き、ところどころでルフトパウゼを入れて溜息をつく…なんて演奏が多いけれど、このウィルコミルスカの演奏は凜とした佇まいがなんとも震い付きたくなるほど美しい。
ついて行ったら地獄を見ることになる夜の歓楽街の美人の客引きが、これならば、地獄を見ても良いからついていきたいと思うのが世の男性ではないか。(私は違うよ…絶対に!)
スコットの「蓮の国」をクライスラーが編曲したものは、確かクライスラー自身の演奏の他はこれしか持っていなかったのではなかったか。いや良い曲だ。私好みの曲調でうっとりして聞き惚れていた。このあたりで部屋も少しずつ石油ストーブのおかげで暖まってきた。そろそろ仕事をするか…。
by Schweizer_Musik | 2009-12-31 10:30 | 日々の出来事
12月30日 (その2)
ちょっと休憩。ベートーヴェンのトリプル・コンチェルトを聴く。指揮はマルコム・サージェント。ソリストは豪華でオイストラフ・トリオの面々が演奏している。名盤の誉れ高いカラヤン盤ではチェリストがクヌシェヴィツキーからムスティスラフ・ロストロポーヴィッチに替わるが、これはあんな豪華版ではないものの、充分に豪華な演奏(日本語になっていないな…)である。
カラヤンとのケンカ・セッションでは、火傷しそうな熱さであったが、これはとても伸びやかで、どこかパストラルな雰囲気があって、こちらも私は結構好きなのだが、どうもカラヤン盤の影に隠れてしまって、今ひとつの人気のようである。大体マルコム・サージェントが振るベートーヴェンなんて、他に聞いたことがないわけで、そんな状況がこの演奏への先入観を抱かせてしまう結果となっているようだ。
更に、この曲自体がベートーヴェンと言えば何でも有り難がって聞く日本人にしては、人気が今ひとつである。それはどうやら、優秀なソリストを3人も揃えなくてはならないという営業的な思惑も滲んでいるように思われるのは、私のひがみ根性から?
だからではないだろうが、ベートーヴェンの失敗作とか言われることも多く、この曲はずいぶん損をしているように思われる。私の判官贔屓の性格がムクムクと一言言わねばと熱い思いを滾らせる…。(笑)
一種の合奏協奏曲で、きらびやかなソリストの技を期待する人たちからは「つまらない」と言われる傾向にあるが、これはなかなか滋味豊かな音楽なのである。第3楽章など、なんて良いメロディーなのだろうと思う。ベートーヴェンって簡単なメロディーをちょいと捻っておもしろみを出す天才だ。
by Schweizer_Musik | 2009-12-30 12:00 | 日々の出来事
12月30日 (その1)
今朝は蕗の薹を刻んで味噌汁に入れていただく。もう蕗の薹が出ていたそうで、親父が田のそばで見つけて取って来たという。(もちろん私の田んぽです…)まだ寒くなるというのに、今からでは花も咲くかどうか…。でもおかげでちょっとだけ春の気分を味わった。
昨日、早く寝たのに、今朝は思いっきり寝坊をして朝食が先となり、8時過ぎに仕事にかかろうとコンピューターをつけたのだが、仕事にならないほど寒いので音楽を聞き始めた。
まずはコンヴィチュニーの指揮でベートーヴェンの「田園」。好きな曲なので(多分ベートーヴェンで一番好きな曲)演奏はあれこれと目移りして困るが、結局のところこれとブルーノ・ワルターのステレオ盤、それにクリュイタンスとベルリン・フィルの三枚に絞られる。たまにはスウィトナーやカール・ベーム、も良いけれど、この五枚があれば困らない。それでもyurikamomeさんお薦めのブロムシュテットやハイティンク(旧盤)も良いし、気に入った演奏は数知れず…なので、こんなところにしておこうか。ピリオドとか称すて速いだけの「田園」なんて中身の無いあんころ餅を干涸らびさせたようなもので、アホらしいので絶対聞かない。くたばれピリオド!!(あの第九以来、ピリオド奏法なるものに敵意を感じ始めている。そんなことではないはずなのだけれど…彼奴のせいだ…)
私の「田園」の原体験はこの演奏だ。なぜだかコロンビア・ダイアモンド・シリーズに入っていて、中学一年だった私の心を捉えた一枚であった。来る日も来る日もこれを聞き続けた(気に入ったせいばかりではない。選択肢があまりなかったせいだ。まだ十数枚しか持っていなかったから…)。柔らかなカンタービレにうっとりし、終楽章にうつるあたりでは必ず大感動…だった。今にして思えば多感であったと思うが、そういう時代を通ったから今があると思うことにしている。
続いて聞いたのは、これまた古い演奏で、ゲオルク・クーレンカンプがシュミット=イッセルシュテット指揮で録音したメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調である。Pearl盤なので、針音が全部入っていて煩わしいが、楽音はこれが一番きれいだ。針音をとろうとすると、楽音まで消えてしまうし…難しいところなのだろう。
しかし、この演奏は壮絶だ。私にはちょっと厳しすぎるかも…。お気に入りのアルチュール・グリュミオーの優しい表現が懐かしくなる。しかし、こういう厳しい姿勢で演奏されたメンデルスゾーンの協奏曲もまた手元に置いておきたいと思った。
更に朝食後、久しぶりの墓参りから帰って、ベルクのヴァイオリン協奏曲をアルチュール・グリュミオーのヴァイオリンで聞いた。彼はこういう曲に向かないなどと勝手に思っていたけれど、美しいものはどうやったって美しい。こんなきれい音楽…。絶句…である。マルケヴィッチの指揮は最高のパフォーマンスでグリュミオーの美音を包み込む。やっぱり学校用のハード・ディスクに入れておくのはこの演奏にしよう。
そろそろ仕事だ!
by Schweizer_Musik | 2009-12-30 09:00 | 日々の出来事
大阪移動
昨日は午後大阪への移動。その後友人のピアニストと梅田近辺の焼鳥屋で飲んで、新阪急ホテルのバーで仕上げをして実家に帰った。遠の昔に日付変更線を越えていて、タクシーでのご帰還と相成った。このところこういうのがやたらと多い。そろそろ止めておかなくては…。
昨日の飲み会で、最近我らが神奈川フィルを振ることがある指揮者某K氏の話になり、音楽の分からん奴と大きな事務所に取り入ろうとする輩が褒めているだけで、ちょっと音楽が好きな人なら誰も相手にしない無能な輩が神奈川フィルを差配するとは大変お気の毒と言われた。
我が意を得たりとはこういうことか…。最近聞いた史上まれなる愚演となった第九もそうだったが、彼から音楽を聞こうとすること自体が無理というものなのである。さてさて、そんなことをわいわいやって、先日のストレス(まだ残っていやがる…)を発散していたためか、六時からはじめた飲み会が深夜に及んでしまう。先日の「神奈川フィルを勝手に応援する会」の忘年会の完全なるデジャヴー…だった。
しかし、面白いもので、私の周りの音楽ができる連中で、今の神奈川フィルの指揮者のK氏を評価する人は一人もいない。ここまで評判が酷いとちょっと弁護してあげたくなるのだが、あんな第九を聞かされたんじゃその気も失せた…。

今朝はそれでもいつもの時間に起きて仕事をはじめるが、あまりに寒くて(指が)動かない。で、音楽を聞いて過ごすことにした。CDはうなるほどここにはあるので…。
聞いたのはビーチャム指揮のチャイコフスキーの交響曲第4番。大好きな「くるみ割り人形組曲」の演奏が入っているCDである。なんて良い演奏なのだろう。当たり前のことだが、ここには豊かな音楽がある。音だけ出して音楽だと言われるのと180度違う。一つ一つの音に作曲家の心の動きが込められていて、これだからこそ人の心をうつのだと思う。安物のスピーカーから先日の第九のガリガリに痩せたひからびた音とは正反対の、グラマラスで心地よい音がこぼれてくる。これでなければ…。
音楽家は学者ではないし、学者が音楽家でもないのだ。理論がなければ生まれないものもあるが、それに頼った瞬間、音楽は挽歌を歌い始める。創造力が枯渇している証拠だ。
ただの紙切れに書かれた音符を生きたものにするためにこそ演奏家はいるし、生きたものにするからこそ拍手を送るのである。彼らがいなければ作曲家はなんて無力なのだろう。
コンクールあがりでも、無能な音楽家はたくさんいる。そういう情報なんて参考程度で、聞く時はもう忘れるに限る。どこの誰々で、先生は誰とか、どういう賞をとったとか、そんなことは音楽とは何の関係もないことであることを肝に銘じなくてはならない。そして虚心坦懐に音楽を聞き、味わい、作曲家の世界に分け入ろうとするのだ。そしてつまらない演奏であれば、二度と聞かなければ良いのだ。

次いでゲルバーが昔々弾いたベートーヴェンの「皇帝」を引っ張り出してきた。ライトナー指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団が共演したこの演奏は、1966年に出たものだから、もう何年になるのだろう。
1970年代にやって来たゲルバーを大阪で聞いたことを憶えているが、足が悪いという他は見事な演奏で、ベートーヴェンのソナタをどんどん弾いてとても気持ちが良かったものである。
この「皇帝」は、私の大好きなラドゥ・ルプーがルーマニア時代にイオシフ・コンタの指揮で録音した演奏(日本ではこれがデビュー盤だったような気がする…)に比肩できる唯一の録音だ。ベテラン勢の演奏も悪くはないが、これは壮年期の作品ながら、若いピアニストと相性が良いように思われる。
今日のゲルバーはもっと大人しく、まとまった演奏をするようになった。人は皆変わっていくのだ。

最後に聞いたのはバーンスタインがニューヨーク・フィル時代に振ったラヴェルの「道化師の朝の歌」。いかにも酔っぱらいの朝帰りの千鳥足が目に浮かぶような出だしが秀逸だ。
by Schweizer_Musik | 2009-12-29 23:30 | 日々の出来事
しばらく留守にします…
今日よ大阪の実家に帰りますので、しばらく更新できません。
三日の夜に帰る予定ですので、また賑々しくおいで下さいますよう、お願いいたします。山の中にこもって、たまった編曲の仕事をする予定です。
では皆様、良いお年を!!
by Schweizer_Musik | 2009-12-28 07:54 | 日々の出来事
ベートーヴェンのミサ・ソレムニスをジュリーニの指揮で
作曲者 : BEETHOVEN, Ludwig van 1770-1827 独
曲名  : ミサ・ソレムニス ニ長調 Op.123 (1819-23)
演奏者 : カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団, ニュー・フィルハーモニア合唱団, ヘザー・ハーパー(sop), ジャネット・ベイカー(m-sop), ロバート・ティアー(ten), ハンス・ゾーティン(bs)
CD番号 : EMI/5176642

この演奏がどういう経緯で録音されたのかは分からないが、資料によると(ブックレットがないので…→iTuneでダウンロードしたものなので)1974年5月10日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音なのだそうだ。
彼がイタリア人だからカンタービレがどうのと分かったようなことを書いている人もいるけれど、確かによく歌う演奏で、壮大過ぎず、音楽そのものを自然に語らせるような演奏にとても好感がもてる。
昨日、家にあるミサ・ソレムニスを全部はとても無理だけれど、6種類の演奏を聞き(鉄板のクレンペラーが見あたらず、カール・ベームの名演を持っていないことも判明…)これが一番素晴らしかった。
ドラティの名演かとも思ったのだけれど、歌手が今ひとつで、マズアが昨日は対抗馬となった。ブルーノ・ワルターの古いライブは音が悪すぎ、やや聞くのは苦痛だったけれど、そこから聞こえてくるものは絶大であった。あれを聞きながら、現代楽器でピリオドを大ホールでやるのはいい加減勘弁してほしいと心底思った次第。(いかん、興奮してきた…)
響きはピリオドなんてやってベートーヴェンをカサカサの潤いの無い音楽だと言いつのる愚か者に聞かせてやりたい美しさ!!こんな美しい音楽を拒否してどうするのだ!!
サンクトゥスを聞いていて涙が出てきた。ヘーザ-・ハーパーやジャネット・ベイカーなどの歌手陣も良い。誰もが最高のパフォーマンスだ。ただハーバーがやや不安定な感じが残るが、気のせいか…。ヴァイオリン・ソロも美しい。これこそ天才石田に合っていると思うのだが、神奈川フィルの「ミサ・ソレムニス」の演奏会は指揮者が良くないので行くほどのこともあるまい。
この曲を若い頃、何度か振って「満足いく演奏がどうしても出来ない。ベートーヴェンに申し訳ない」と以後この曲をレパートリーから外してしまったフルトヴェングラーの話を聞いたことがあるが、なるほどと思う。スケール大きく盛り上げていくというだけでは御しきれない自然体で聞かせるものがこの音楽にはある。晩年の音楽であり、第九よりもずっと内省的にも感じるのはそういう特徴を持っているからではないだろうか?誠実であろうとする音楽家としての矜持のようなものであろう。
第九と双生児のような曲で、第九が外に向かっていく情熱であれば、ミサ・ソレムニスは内に向かう心の音楽であると思う。そしてこのジュリーニのような演奏こそがこの音楽には相応しい。
アニュス・デイからドナ・ノービス・パーチェムにかけて聞いていて、私は本当に涙が出てしまった。なんて良い音楽なのだろう!!
by Schweizer_Musik | 2009-12-28 07:30 | CD試聴記
クレツキの指揮で聞くベートーヴェンの第九
作曲者 : BEETHOVEN, Ludwig van 1770-1827 独
曲名  : 交響曲 第9番 ニ短調「合唱」Op.125 (1822-24)
演奏者 : パウル・クレツキ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団, 合唱団, インゲボルク・ヴェングロール(sop), アンネリーズ・ブルマイスター(alt), マルティン・リッツマン(ten), ロルフ・キューネ(bs)
CD番号 : SUPRAPHON/COCQ-83945〜49

昨日、ちょっと演奏会で…だったもので、「一休み」中、これを聞いている(笑)。私に言わせればチェコ・フィルはかなり下手。でもこのクレツキの指揮はさすが!ベーレンライターがどうとか、ピリオドとか、くそ食らえである。音楽的であることが大切ではないのか?私はそんな当たり前のことを考えながら、この何とも滋味に満ちた演奏を聞いた。
先日、私が作曲を教えている学校のオケも文京シビックで第九をやった。舘市先生がコンマスに座り、もの凄い熱演だった。アマチュアがプロと一緒に演奏しているので、上手とは言えないし、プロのオケと比べるべくもないが、とてもよく鳴っていた。
説得力抜群の名演を繰り広げた新星、山田和樹先生のことを思い出したりしていた。(昨日のことは帰る前に消去ボタンをつい押してしまったので、忘れた…)
クレツキはテンポの変化を極めてスムーズに行うというよりもテンポの差を縮めてなるべく変化を自然に行うようにする傾向があるが、この演奏、特に第3楽章と第4楽章にその傾向は濃厚である。もちろん、第3楽章はAdagio molto cantabileで 四分音符=60と楽譜にある。で三拍子になったところからAndante moderatoになるが、ここでのベートーヴェンのメトロノーム指定は四分音符=63なのだ。この変化をそのまま受け取れば、多分ほとんどの人はテンポの変化がわからないだろう。ギア・チェンジのために少しリタルダントして三拍子に入るとまずほとんどの人に少し速くなったとは気づかれない。これを四分音符=70以上にあげればちょっと速くなったと感じるようになる。
しかし、このベートーヴェンのどう考えてもおかしい(ついでに同じようなメトロノームを使っていたツェルニーの練習曲も笑ってしまいたくなるような指示がある。ベートーヴェンの補聴器も作っていたというメトロノーム氏の考案した機器が、ベートーヴェンやツェルニーの手元で果たして正常に作動していたものかどうか…)メトロノーム記号がなかったとしたら…。
一般的に今日Adagioという指示の場合、四分音符=40程度で演奏するのが一般的である。基本とする拍が何になるか、相対的にどう感じるかによって多少前後するが、四分音符=60というのはAndanteのテンポである。従って伝統的な演奏は冒頭の四拍子は四分音符=40のAdagioで演奏し、三拍子の部分のAndanteは一般的な四分音符=60前後にしてベートーヴェンの指示を明確にしていた。
今日の新しい「解釈」とやらはAdagioやAndanteというベートーヴェンの指示を無視し、本当に信用がおけるのか定かではないメトロノームの速度指示を守ろうとしているように思う。
ただ、私はあまり遅すぎる3楽章はちょっと困るなぁと思うが、あまりに速すぎるのもどうかと思う。音楽が極めて叙事的に感じられ、そのストーリーに合わせて流れるようなテンポが正しいのではと思うわけである。
その点、クレンペラーやトスカニーニはとても良いテンポで流れ、かつテンポの変化が自然でありつつも対比が感じられる。
これらの名演に比肩できるのがクレツキである。ああチェコ・フィルがせめて神奈川フィルだったら(但し今年はじめの…)というのは無理難題でしかないが…。でも金管はなかなか優秀だ。また録音も解像度の良い録音でテープのヒス・ノイズなどあるとは言え、実に聞きやすい。
独唱者、合唱ともまずまずの水準で、聴き応え抜群だ。どこかの誰かのように場面転換を端折って、最後だけ盛り上げるのに腐心するようなあざとさとは無縁の、誠実無比のベートーヴェンがここにある。
さて仕事にもどろう。
by Schweizer_Musik | 2009-12-27 10:27 | CD試聴記
昨日は飲み会!
昨日は「神奈川フィルを勝手に応援する会」の今年最後のミーティング(忘年会)であった。散々話して(なんと5時間あまり…議論紛糾し結論出ず…)、日付変更線を越えて「午前様」でのご帰還と相成った。
お世話になった皆さん、ありがとうございました!!皆さん良いお年を!!

昨日、出がけにちょっと左手の指を切ってしまい、飲みは止めておかねばと思っていたが、(会議で…笑)ついつい飲んでしまい、七時過ぎに起き出して、ゴソゴソやっている。
昨日は待ち合わせ場所が県民ホールで、忘年会の前に「第9」を聞いての飲み会だった。さあ今日はアレンジに没頭せねば…。左手の親指が使えないと結構大変である。
by Schweizer_Musik | 2009-12-27 07:29 | 日々の出来事
手間のかかった「春の声」が終わった…
ようやく「春の声」の編曲が終わった。手の込んだわりには、あまり気に入らないけれど、もう期限がきているので、これでおしまいにして送ろうと思う。
タイトルは「春の声」ではなく、ワルツ「華麗なる春の花の舞踏 〜子犬とともに」ということにした。「春の声」の曲にあわせて、途中からショパンの「華麗なる…」や「子犬の…」が紛れ込み、ウェーバーの「舞踏への…」が出てきたりしてワケがわからなくなったあたりで、曲はチャイコフスキーの「花のワルツ」になるというもの。
春の声に乗せて、これらのよく知るメロディーが紛れ込むのを、聞き手はどれだけわかってくれるだろうか?笑わせるための曲ではなく、知的楽しみのための音楽である。ともかく、今、チェックをしている。なにしろ400小節ほどの曲で、60ページ以上もあるので、ちょっと大変である。これが終われば、次に進まなくては。結構たくさん言いつかっているので、冬休みは休んでられない…。
by Schweizer_Musik | 2009-12-26 09:47 | 日々の出来事
クレツキ指揮のプロコフィエフの交響曲第5番
作曲者 : PROKOFIEV, Sergei 1891-1953 露
曲名  : 交響曲 第5番 変ロ長調 Op.100 (1944)
演奏者 : パウル・クレツキ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
CD番号 : EMI/5 74115 2

色々とこの曲の録音を聞いてきたけれど、これは文句なしの第1位である。最近この演奏の存在を知り、某オークションで落としたものである。ムラヴィンスキーやラインスドルフ、カラヤン、ジョージ・セルといった名演がひしめき合う状態で、最近ではキタエンコの全集録音などもあり、心は動くし、ライブ盤まで入れれば、この曲の録音を私は一体何枚持っているのだろう…。でもそれらを捨てても、この一枚があれば良い。そんな凄い演奏なのだ。
1964年の録音という。戦争中、様々な悲劇に見舞われ、彼は作曲家としてのキャリアを中断している。ちょうどその頃に書かれたプロコフィエフの作品を、クレツキは強烈な思い入れで演奏している。
冒頭から何事かと思うほどの入れ込みようで、クレツキは指揮をしている。そしてフィルハーモニア管弦楽団も真剣勝負の集中力でこれに応えている。これこそ一期一会の強烈な演奏である。私は、第1楽章を聞き始めたらもう途中で止められなくなり、一気に終楽章まで聞き通し、途中何もできず…であった。茫然自失…。

その昔、オーマンディ指揮でこの曲をはじめて聞いた。(私はこの曲と実に幸せな出会いを果たしている…と今も信じている)その時は、この作品をパストラルな平和な音楽だと思っていた。
戦争中にプロコフィエフは疎開していたから、そんな平和な音楽を書いたのだ…と、勝手に解釈していた。オーマンディが悪いのではないが、私はずいぶん誤解していたように思う。クレツキ指揮のこの演奏で聞第2楽章の緊迫感あふれる音楽は、私のそんな悠長な考えを粉々に砕いてしまった。
プロコフィエフの完璧なオーケストレーションは、クレツキのような音楽家によってこそ完璧なバランスで鳴り響くのだと思い知る。ピアノを重ねたバスーンの音も、暗い響きに鋭さを加えている。
第3楽章はシェークスピアの悲劇の音楽である。オテロのデスデモーナ、あるいはオフェーリアが自らの葬送の調べを歌い上げる…聞きながら私はそんな幻想にとらわれてしまった。
対立する様々な感情がぶつかり合う終楽章は、この演奏を聞いてはじめて納得がいった。これでないといけないのだ。クラリネットの軽快な歌がこれほどの重みを背景に持っていたとは!!
全てにわたって絶品。聞かないと損だ。私は今までずいぶん損をして来た気がしてならない。今から取り返さないと…(笑)。
ても、あまりに重い音楽なので、そうそう聞くのは勘弁してもらわないといけない。だが、もう他の演奏は聞けなくなってしまった。
絶賛!!いつまでもいつまでも拍手!!
by Schweizer_Musik | 2009-12-26 08:36 | CD試聴記